日本サッカー界において、これほどまでに「闘将」という言葉が似合う男がいたでしょうか。2019年12月01日、J2京都サンガF.C.に所属する元日本代表DF、田中マルクス闘莉王選手が東京都内で記者会見を行い、惜しまれつつも現役を退くことを表明しました。19年に及ぶ輝かしいプロ生活にピリオドを打つ彼は、集まった報道陣を前に「感謝の気持ちで胸がいっぱい」と語り、その瞳には万感の思いが溢れているようでした。
ブラジルから来日し、サッカーどころである静岡県の高校を経てプロの門を叩いた闘莉王選手は、2003年に日本国籍を取得しました。彼のプレースタイルは、単なる守備の要であるセンターバックの枠を超越したものでした。強固なディフェンスで相手を封じ込めるだけでなく、窮地には前線へ駆け上がりゴールを奪うその姿は、多くのファンの心を掴んで離しませんでした。これほどまでに攻撃的なディフェンダーは、今後現れないかもしれません。
SNS上では引退の報を受け、「一つの時代が終わった」「彼の魂の叫びがもう見られないのは寂しい」といった声が相次いでいます。特に2010年06月に開催されたワールドカップ南アフリカ大会での死闘を思い出すファンは多く、ベスト16進出という快挙を支えた彼の熱いプレーは、今なお語り草となっています。サポーターの間では、技術以上にその「戦う姿勢」をリスペクトする書き込みが、タイムラインを埋め尽くしている状況です。
数々の栄光とクラブへの貢献:日本サッカー史に刻まれた背番号4
闘莉王選手のキャリアを振り返ると、そこには常に「優勝」の文字が刻まれています。2006年には浦和レッズのJ1リーグ初制覇に大きく貢献し、翌2007年にはアジアの頂点を決めるACL(アジア・チャンピオンズリーグ)のタイトルも獲得しました。さらに2010年には名古屋グランパスでもリーグ優勝を成し遂げており、所属したチームを勝者の集団へと変貌させる稀有なリーダーシップを発揮し続けました。
特筆すべきは、ディフェンダーでありながら積み上げた驚異的な得点数でしょう。J1通算395試合で75得点、J2では134試合で29得点という数字は、本職のアタッカー顔負けの記録です。ここでいうセンターバックとは、通常は自陣のゴールを守る守備の専門職を指しますが、彼はその概念を打ち壊しました。戦術を超えた彼の本能的なゴール奪取能力は、日本代表としても国際Aマッチ43試合で8得点という結果に結びついています。
編集者としての私見を述べさせていただけるなら、彼ほど「チームの温度を上げる」ことができる選手は、今の日本には不足していると感じます。時に激しい言葉で味方を鼓舞し、時に自らの体を張ってチームを救うそのカリスマ性は、まさに唯一無二でした。2019年という節目に彼がピッチを去ることは大きな損失ですが、彼が植え付けた「勝利への執念」というDNAは、必ずや次世代の選手たちに受け継がれていくに違いありません。
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