世界中で愛される宮崎駿監督の至宝『風の谷のナウシカ』が、歌舞伎の舞台で蘇るというニュースは、当初多くの人々に驚きをもって迎えられました。アニメや漫画を舞台化する「2.5次元」の手法は定着していますが、ナウシカの持つ独特な世界観が伝統芸能である歌舞伎とどう結びつくのか、誰もが固唾を呑んで見守っていたはずです。
2019年12月、ついに幕を開けたこの舞台は、ナウシカ役を熱望した尾上菊之助さんの情熱から始まりました。スタジオジブリの全面協力のもと、1984年に公開された劇場版アニメの範囲を大きく超え、原作漫画全7巻という壮大な叙事詩を昼夜計9時間にわたって完全上演するという、極めて野心的な挑戦が形となったのです。
伝統技法が息を吹き込む「腐海」と「蟲」の幻想世界
物語の舞台は、高度な文明が崩壊してから1000年後、有毒な瘴気を発する菌類の森「腐海(ふかい)」に覆われた終末世界です。観客を待っていたのは、邦楽の笙(しょう)が奏でる幻想的な音色と、歌舞伎の荒唐無稽な発想を活かした驚異の美術でした。メーヴェや王蟲といった象徴的な存在が、舞台ならではの工夫で鮮やかに表現されています。
特筆すべきは、歌舞伎の「引き抜き」という技法です。これは、衣装の糸を抜くことで瞬時に別の着姿へと変える演出ですが、ナウシカの衣服が青く染まる劇的なシーンで見事に活用されました。また、敵役ミラルパの超人的な威圧感は、顔に太い線を引いて血管や筋肉を強調する「隈取り(くまどり)」によって、一層の凄みを増しています。
女形の神髄が光るナウシカとクシャナの気高さ
本作の核となるのは、尾上菊之助さん演じるナウシカと、中村七之助さん演じるクシャナという二人の「戦う女性」の対比でしょう。歌舞伎の「女形(おんながた)」、つまり男性が女性を演じるからこそ醸し出される、余計なものを削ぎ落とした「引き算の美学」が、彼女たちの気高さやりりしさをより一層際立たせていました。
物語のクライマックスで登場する巨神兵の戦いを、獅子の精が長い髪を振り回す「毛振り(けぶり)」で表現した演出には、筆者も思わず唸らされました。巨大な人形を動かす以上に、演者の肉体から放たれるエネルギーが、巨神兵の持つ圧倒的な破壊力と神々しさを観客の心に直接訴えかけてくるような、凄まじい迫力に満ちていたのです。
SNSでも絶賛の嵐!どんな物語も飲み込む歌舞伎の底力
公演初日直後に菊之助さんが負傷するという不測の事態に見舞われ、一部の演出変更を余儀なくされました。しかし、2019年12月20日現在の客席に溢れるのは、そんなアクシデントを忘れさせるほどの深い満足感と熱い拍手です。SNSでも「原作へのリスペクトが凄い」「歌舞伎で正解だった」と、ファンからの称賛が相次いでいます。
かつての『ワンピース』や『マハーバーラタ戦記』でも証明されたように、歌舞伎という伝統芸能は、一見相容れないような異色の題材さえも自らの様式美に取り込み、唯一無二のエンターテインメントへと昇華させる底知れぬ力を持っています。このナウシカもまた、歌舞伎の歴史に新たな一ページを刻む傑作であると確信しています。
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