2019年12月25日、文部科学省が公表した議事録によって、大学入試改革の大きな火種となっていた英語民間試験導入の「生々しい経緯」が明らかになりました。かつてないほどに揺れ動く教育現場において、なぜこれほどまでに議論が急速に進められたのでしょうか。そこには、純粋な教育的視点というよりも、むしろ政治的な強い推進力が働いていた実態が浮かび上がっています。
事の発端は、今から約6年前の2013年にまで遡ります。当時の下村博文文部科学大臣は、同年3月の産業競争力会議において、日本人の国際的な競争力を高めるという戦略の一環として「TOEFL」などの民間試験を大学入試で飛躍的に活用する方針を打ち出しました。この「産業競争力会議」とは、日本経済の再生を目指して成長戦略を議論する政府の重要会議であり、教育を経済成長の「道具」として捉える側面が強かったといえるでしょう。
2013年6月には早くも政府の成長戦略にこの方針が盛り込まれ、同年10月には教育再生実行会議が、従来のセンター試験に代わる新テストでの民間試験活用を提言しました。このように、教育の専門家が集まる中央教育審議会などでじっくり議論される前に、官邸主導の会議体によって「外枠」が決定されてしまったのです。SNS上では「現場の声を無視したトップダウンではないか」といった、将来を担う受験生たちを慮る声が数多く寄せられています。
公平性の懸念を置き去りにした「政治的決断」の代償
もちろん、こうした急進的な動きに対して、高校現場や有識者からは早い段階で懸念の声が上がっていました。特に問題視されたのは「公平性」です。受験生の住む地域によって試験会場へのアクセスが異なる点や、検定料の負担など、経済格差が合否に直結しかねないという懸念は、結局最後まで解消されることはありませんでした。それにもかかわらず、2017年7月には活用が正式に決定されるという事態に至ったのです。
文部科学省の内部からも「政治が掲げた高い目標を実現するために奔走したが、正直なところ無理があった」という悲痛な本音が漏れ聞こえています。さらに、2018年4月の自民党会合では、下村氏が東京大学に対して民間試験を活用するよう指導を求めていたことも判明しました。これらは、本来独立しているべき大学の自治や教育のあり方に対し、政治がどこまで介入すべきかという根本的な問いを私たちに突きつけています。
2019年11月の参議院文教科学委員会において、現職の萩生田光一文科相は、不透明な決定プロセスについて「歴代の大臣に経緯を伺いたい」と述べるにとどまりました。私個人としては、教育改革に情熱を傾けるのは素晴らしいことだと思いますが、受験生を実験台にするような強引な手法は決して許されるべきではないと考えます。教育の根幹である「公平・公正」をないがしろにしたツケは、あまりにも大きいと言わざるを得ません。
今後、この政治的な関与が具体的にどのような形で行われ、誰が最終的な責任を負うのか、徹底的な検証が必要です。単なる制度の変更として片付けるのではなく、二度と同じような混乱を招かないための教訓とすべきでしょう。SNSでの反対運動がこれほどまでに盛り上がった背景には、制度そのものへの不信感以上に、議論の進め方に対する国民の怒りがあったのではないでしょうか。
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