日本の安全保障政策の歴史を振り返ると、唯一の同盟国である米国と中東地域が織りなす複雑な関係性に、常に強く影響されてきました。イランを巡る緊張が急速に高まる中、日本政府は2019年12月に自衛隊の中東派遣を決定しています。さらに米軍によるイラン革命防衛隊の司令官殺害という衝撃的な事件が起き、緊迫度は頂点に達しました。この事態に対してSNS上では「日本は米国とイランの板挟みになるのではないか」「自衛隊の安全は確保されるのか」といった、今後の日米同盟への影響を不安視する声が数多く上がっています。
緊迫した情勢が続く中、安倍晋三首相は2020年1月6日の年頭記者会見において、威嚇の応酬が続く米イラン問題に対し、日本ならではの外交を粘り強く展開すると力強く表明しました。この方針に沿って、首相は2020年1月中旬にサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)といった中東諸国への訪問を予定しています。かつて日本が安保政策の大きな転換を迫られた契機も中東でした。1991年の湾岸戦争において、日本は憲法上の制約から資金援助のみにとどまり、国際社会から厳しい非難を浴びた苦い過去を持っています。
その批判を乗り越えるべく、日本は湾岸戦争の停戦から2週間後にペルシャ湾へ機雷掃海艇を派遣し、以降の自衛隊による国際貢献はアメリカを強く意識したものへと変化しました。2001年9月11日の米同時多発テロの際、当時の小泉純一郎首相はいち早くブッシュ大統領への支持を表明してインド洋に海上自衛隊を派遣し、2003年のイラク戦争後には陸上自衛隊の派遣へと踏み切っています。これらは、日米同盟の絆を誇示するための重要な決断の連続でした。
「悪の枢軸」がもたらした世界情勢のパラダイムシフト
当時、ブッシュ大統領はイラク、イラン、北朝鮮をテロを支援する国家として「悪の枢軸」と名指しし、世界に大きな衝撃を与えました。「悪の枢軸(あくのすうじく)」とは、アメリカの安全保障を脅かす敵対国を激しく非難するために生み出された政治的なスローガンです。この方針のもとで始まったアフガニスタンとイラクでの2つの戦争は、米国の経済悪化を招き、米国民の間に根深い反戦世論を植え付ける結果となります。そして、この国民感情がオバマ大統領の誕生を後押しすることになりました。
米国は伝統的に、2つの大規模な紛争に同時に対応する「二正面作戦(にしょうめんさくせん)」の能力を誇示してきました。これは東西や複数の地域で同時に戦争が起きても勝ち抜くという、超大国としての軍事戦略です。しかしオバマ政権は、国防予算を削減するためにこの戦略の見直しを余儀なくされました。そして現在のトランプ大統領も、イランへの対応に多くの時間とエネルギーを奪われており、中東以外の地域、とりわけ東アジアへの関与を十分に維持できるのかが懸念されています。
この中東の混乱は、直接的ではないものの、確実に北朝鮮を巡る情勢へと波及していくでしょう。かつて「悪の枢軸」と非難された北朝鮮は、米国の出方を伺うために挑発を控え、小泉首相による2002年と2004年の訪朝時にも拉致問題へ前向きな姿勢を見せました。その背景には、対話を通じて米国を懐柔したいという思惑があったとされています。中東でのアメリカの強硬姿勢は、常に北朝鮮の外交戦略に決定的な影響を与えてきたのです。
司令官殺害が金正恩委員長に与える心理的プレッシャー
今回の米軍によるピンポイントでの司令官殺害が、北朝鮮を軟化させるかどうかについては専門家の間でも意見が分かれています。北朝鮮は、かつてのイラクが核兵器を持っていなかったために米国から攻撃を受けたと冷徹に分析しており、国際的な非難を浴びてでも核開発を継続する大義名分にしています。米国の圧倒的な軍事能力を目の当たりにした金正恩委員長が、今どのような心理状態にあるのかは非常に複雑であると、日本の政府高官もその動揺を指摘しました。
トランプ大統領の本音は「イランとの戦争は避けたい」というものですが、アメリカの余力が削がれていると見た北朝鮮が、さらに挑発を強めてくる危険性も否定できません。私は、日本政府が提唱する「日本ならではの外交」こそが、今まさに試されていると感じます。米国との強固な同盟関係を維持しつつも、中東各国と独自のパイプを持つ日本が仲介役に徹することは、回り回って東アジアの平和、すなわち対北朝鮮への抑止力にもつながるはずだからです。
自衛隊の活動は、1991年のペルシャ湾での機雷除去から始まり、カンボジアやゴラン高原でのPKO活動、インド洋での補給支援など、中東を舞台に進化を遂げてきました。今回のイラン情勢の緊迫化は、日米安保が始まって60年という節目の年に、同盟のあり方を根底から揺るがす新たな局面を迎えたと言えます。日本は米国の同盟国として、そして国際社会の平和を担う一員として、これまでにない極めて慎重かつ大胆な舵取りを求められているでしょう。
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