映画の撮影をきっかけに、わずか3秒という驚異的なスピードで高知県への移住を決断した映画監督の安藤桃子さん。それから足かけ6年が経過した彼女の生活は、結婚や出産、そして離婚といった人生の大きな転機が次々と訪れる、まさに感情のジェットコースターのような濃密な時間でした。気づけば時代は令和へと移り変わり、2020年1月現在、早くも新しい時代の2年目を迎えています。
SNS上では「3秒で移住を決める行動力が凄すぎる」「人生の密度が濃くて憧れる」といった驚きと共感の声が多数寄せられており、彼女の生き方に注目が集まっています。時代の転換期を生きる中、安藤さんはある晴れた日に高知城の天守閣を見上げ、ふと幕末の歴史に思いを馳せました。明治維新という激動の時代、当時の人々は急激な変化をどのように受け止めたのでしょうか。
お侍さんが突然「明日から髪を切り、商人として生きろ」と言われても、すぐに納得できるはずがありません。プライドを捨てて笑顔で商売をするくらいなら、いっそ家族で野垂れ死んだ方がマシだと考えた人もいたはずです。しかし、そこからわずか150年ほどが経過した現在の日本において、ちょんまげを結って刀を差している人など存在しません。時代という大きなうねりは、良くも悪くも私たちを強制的に変化させてきたのです。
昭和・平成・令和で変わる幸せの価値観
ある高知県民は「昭和はモノ、平成は捨てる、令和はこころの時代」と語ったそうです。この言葉は現代を生きる私たちの胸に深く刺さります。ここで少し歴史を振り返ってみましょう。昭和の時代は、テレビや洗濯機、冷蔵庫に代表される「三種の神器」をはじめ、新しい電化製品が次々と誕生しました。これらは高度経済成長期を象徴する、生活を豊かにするための3つの憧れの家電製品を指す専門用語です。
当時はマイホームや自家用車を手に入れれば家族で記念写真を撮り、父親は一躍ヒーローとなりました。家にテレビが届くだけで近所の人々が集まり、拍手で迎えたものです。つまり、新しい物品を家庭に迎え入れること自体が、人生の最大の喜びとなるような分かりやすい時代でした。続く平成の時代になると、私たちはさらなる利便性を追い求め、使い捨ての生活用品があふれるようになります。
携帯電話やスマートフォンといった持ち運び可能なポータブル製品が急速に普及したのもこの時期です。そして平成の終わりには、所有物を減らし、執着を捨てることで心にゆとりを持つ「断捨離」という言葉が大ブームを巻き起こしました。人間は物欲の限界を迎えると、今度は精神的な満たされ方を求めるようになるのでしょう。安藤さん自身も、まさにそんな心の充足感を求める一人だったのです。
高知で見つけた、お金で買えない本当の安心感
直感で高知へと移住した安藤さんは、生活を重ねる中で自分が本当に求めていたものの正体に気づいていきます。山と川、そして美しい海という三拍子が揃った高知県は、まさに食材のパラダイスです。都会の感覚でいえば渋谷から目黒ほどのわずかな距離を移動するだけで、手つかずの大自然が残る秘境へとたどり着きます。四季折々の山の恵みがあり、夜には賑やかな街の中心を流れる清流で大物が釣れる環境です。
さらに魅力的なのは、何よりも現地の人々の温かさでしょう。困っている人がいれば、理由も聞かずに「よっしゃ!」と走り出すような情に厚い人々が溢れています。シングルマザーとなった安藤さんが商店街を歩けば、近所のおばちゃんたちが自分の買い物袋から野菜や惣菜を次々とママチャリのカゴに分けてくれるそうです。このエピソードに対し、ネット上では「これこそが理想の地域コミュニティ」「涙が出るほど温かい」と絶賛の嵐が巻き起こっています。
ネット上で「真の贅沢とは何かを考えさせられる」と話題を呼んでいる光景があります。それは、太平洋に沈む夕日を背に、割烹着姿のおばあちゃんがのんびりと釣り糸を垂らしている姿です。このおばあちゃんが味わっている食卓の豊かさは、国の経済指標や統計データには決して現れません。映画監督という不安定な職業だからこそ、安藤さんはこの地で、命の根幹である食と心の豊かさという最高のバランスを見つけ出したのです。
編集編集の視点:私たちが目指すべきこれからの豊かさ
モノに溢れた現代社会において、安藤さんが高知で見つけた「利他精神」と「食の自給」は、これからの時代を生き抜く最大のヒントだと私は確信します。経済的な豊かさだけを追い求める指標は、すでに限界を迎えているのかもしれません。互いに助け合い、自然の恵みを分かち合う高知の暮らしには、私たちが都会で見失ってしまった「生きている実感」が詰まっています。心を満たす選択を、私たちも今こそ考えるべきではないでしょうか。
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