ウイスキーファンを公言する筆者にとって、聖地と呼ぶにふさわしい場所が北海道に存在します。日本のウイスキーの父として広く知られる竹鶴政孝氏が、飽くなき情熱を注いで築き上げたニッカウヰスキー余市蒸溜所です。
ここでは1936年という大いなる歴史の第一歩を踏み出して以来、現代では世界的に見ても極めて珍しくなった「石炭じか火蒸留」という職人技が、脈々と受け継がれています。本物の味を追い求めた先人の魂が、今もここで息づいているのです。
SNS上でもこの場所への賛辞は絶えず、「職人さんたちが汗を流して石炭をくべる姿に感動した」「まるでヨーロッパの古城のような美しい雰囲気に圧倒される」といった熱い声が日々投稿されています。単なる工場見学の枠を超えたドラマがここにはあります。
竹鶴氏が修行の地として選んだのは、本場スコットランドのハイランド地方に位置するスペイ川流域のロングモーン蒸留所でした。そこで本格的な技術を修得した彼が、日本で理想のウイスキー造りを行うために見出したのが、北海道の余市町という奇跡の土地です。
年間の平均気温が8度という冷涼な気候は、まさに本場の環境そのものだと言えます。周囲の山々から流れ出る清らかな雪解け水が余市川となって工場の傍らを流れており、ウイスキーの命とも言える極上の水が豊富に手に入る環境が整っていました。
さらにウイスキー特有の香ばしいスモーキーフレーバーを醸し出すために欠かせない「ピート(草炭)」や、蒸留の燃料となる石炭が、当時は北海道内で容易に採掘できたことも、この地が選ばれる決定的な理由となりました。
しかし、ウイスキーは熟成に長い年月が必要となるため、すぐに利益は出ません。そこで竹鶴氏は1934年5月10日に「大日本果汁」を設立し、地元の特産品であったリンゴを用いたジュースの販売を行うことで、経営の基盤を支えるという驚くべき知恵を発揮します。
こうして苦難を乗り越えて資金を蓄え、1936年に入ってようやく念願のウイスキー製造が本格的にスタートしました。そして努力が実を結び、1940年10月に記念すべきウイスキーの第1号が世に送り出されたのです。
現在、敷地内には竹鶴氏が最愛のリタ夫人と共に睦まじく暮らした美しい住宅など、国の登録有形文化財が9棟も佇んでいます。その中でも特に圧倒される見どころは、7基の蒸留器が威風堂々と一列に並ぶ蒸留棟の光景でしょう。
ウイスキー造りでは、アルコール度数が約8度のもろみを、「初留」と「再留」という2回にわたる蒸留工程にかけることで、透明な原酒へと仕上げていきます。ここで活躍するのが、伝統を守り続ける7人の熱き職人たちです。
ここで用いられる「蒸留」とは、液体を加熱して沸点の違いを利用して成分を分離・濃縮する専門的な技術のことです。1000度を超える圧倒的な高温で初留を行うには約5時間、さらに再留には合計で12時間ほどもの莫大な時間を費やします。
現在では、効率的で温度管理が容易なガス火力による蒸気蒸留が世界の主流となっています。しかし余市では、あえて職人が自らの手で窯の扉を開け、石炭をくべながら絶妙な火加減を調整する昔ながらの製法にこだわっています。
この非効率とも言える石炭じか火蒸留こそが、余市ウイスキーに重厚で豊かなコクと、香ばしい唯一無二の味わいをもたらすのです。時代に流されず、本物を守り抜くニッカの姿勢には、いちファンとして深い敬意を抱かざるを得ません。
蒸留された原酒の運命を決めるのは、ブレンダーと呼ばれる専門家の卓越した嗅覚と、樽での熟成度合いを見極める熟練の技にかかっています。創業当時から歴史を刻む1号貯蔵庫は、床が土間のままであるという特徴を持っています。
驚くべきことに、80年以上の歳月が流れた現在でも、この貯蔵庫では原酒が静かに眠り続けています。現地の岩武公明工場長が「将来に思いをはせながら、最高の原酒造りに励んでいる」と語る通り、そこにはロマンが詰まっています。
空前の国産ウイスキーブームを受け、ニッカはさらなる増産に向けて舵を切っています。2021年までに27棟目となる新しい貯蔵庫を完成させる計画が進んでおり、原酒を詰めるタンクや出荷用の設備も次々と増設される予定です。
その人気は国内に留まらず、ゴールデンウイークの最盛期には1日に4000人もの人々が詰めかけます。さらに2018年のデータによると、来場者のうち16%を外国人観光客が占めており、世界的な注目度の高さが伺えます。
特に人気を集めているのが、ウイスキー博物館の奥に併設された有料試飲バーです。ここでは、一般の市場には一切出回ることのない、非常に希少な年代物のウイスキーを実際に口にすることができるため、連日多くの人で賑わっています。
近隣の倶知安町をはじめとしたリゾート地での開発が進んでいる影響もあり、冬になるとオーストラリアや中国からウインタースポーツを目的にやってきた目の肥えた観光客が、滞在中にこの蒸溜所へ足を延ばす事例が急増しています。
2018年12月8日には小樽から余市までの高速道路が開通したため、新千歳空港や札幌市内からのアクセスが劇的に向上しました。2019年のラグビーワールドカップ開催時にも、多くの海外ファンがこの地を訪れて熱狂しています。
2020年夏の東京五輪では、マラソン競技が札幌市内で開催されることが決定しています。これからさらに多くの訪日外国人が北海道の地に集まることが予想される中、余市の素晴らしいウイスキー文化が世界へ羽ばたく絶好の好機となるでしょう。
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