エモい記憶の鍵「図工室の匂い」を忘れる切なさ。武田砂鉄が熱海の起雲閣で感じた記憶の境界線

2019年09月25日、ライターの武田砂鉄さんは静岡県熱海市を訪れていました。大正時代から多くの文豪に愛されてきた歴史的建造物「起雲閣」を散策していた際、ある興味深い光景に出会ったそうです。20代と思われる女性グループが、館内に足を踏み入れた途端に「ここ、図工室の匂いがしない?」と声を上げ、仲間たちが一斉に「わかる!」と共鳴したのです。この何気ないやり取りが、記憶の不思議さを浮き彫りにします。

嗅覚と記憶は密接に結びついており、特定の香りを嗅ぐことで過去の光景が鮮明に蘇る現象は「プルースト効果」と呼ばれます。かつての恋人が愛用していた香水や、帰省した際の実家特有の香りなど、言葉で説明しがたい匂いこそが、私たちの脳に深く刻まれているものです。しかし、武田さんは彼女たちが盛り上がる「図工室の匂い」を、どうしても思い出すことができなかったと振り返ります。

彼女たちが図工室で過ごしたのは10年ほど前、対して武田さんは約20年前という時間の隔たりがあります。この10年の差が、共通の感覚を遮断してしまったのでしょうか。懸命に記憶を遡り、絵の具の独特な油性感や木くずが混ざり合った香りを想像しようと試みますが、実感として繋がりません。目の前の若者たちが彫刻刀の失敗談で笑い合う中、自分の中にその記憶のピースが欠けている事実に直面します。

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いつの間にか失われる「感覚の記憶」という財産

物忘れという自覚がないまま、いつの間にか体の中から消えてしまう記憶があるというのは、少し恐ろしいことかもしれません。出来事であれば誰かに話を聞いて思い出すこともできますが、匂いの感覚を他人に共有してもらい、自分のものとして復元するのは至難の業です。2019年09月25日の執筆時点で、武田さんはこの「忘却の瞬間」を捉えきれないもどかしさを、切なさを込めて綴っています。

SNS上ではこの記事に対し、「自分も図工室の匂いと言われればパッと思い浮かぶ」「あの独特の木と油が混ざったような香りは青春そのもの」といった共感の声が相次ぎました。一方で、武田さんのように「大人になると特定の場所の匂いを忘れてしまうのが寂しい」と感じる層も少なくありません。記憶とは単なる情報の蓄積ではなく、五感を通じた体験がいかに鮮明であるかに左右されるのでしょう。

私自身、この記事を読んで、自分自身の「記憶の感度」を確かめたくなりました。日常の忙しさに追われ、かつて当たり前だった放課後の教室や理科室、そして図工室の匂いを、どこかに置き去りにしていないでしょうか。効率や論理ばかりを重視する大人になる過程で、こうした「理屈抜きの感覚」を失ってしまうのは、感性の退化のようでもあり、少し寂しい気がしてなりません。

結局、武田さんはその場を「ここが図工室の匂いなのだ」と定義することで納得しようと試みます。しかし、一度失われた感覚のスイッチは、そう簡単には入りません。今この瞬間、猛烈に「あの匂い」を嗅ぎたいと願う彼の渇望は、失われた時間への郷愁そのものでしょう。私たちが今感じている些細な日常の匂いも、いつか二度と思い出せない貴重な宝物になるのかもしれません。

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