2019年12月17日現在、私たちの社会では「自分の立ち位置」を客観的に見つめる動きが加速しています。かつての日本を象徴した「一億総中流」という幻想が崩れ去り、誰もが否応なしに自身の社会経済的地位を意識せざるを得ない時代が到来したといえるでしょう。しかし、自らの位置を冷静に把握できるようになったことが、果たして私たちを幸福へと導くのかという問いに対し、東北学院大学の神林博史教授は非常に鋭い視点を提示されています。
格差が明確になる中では、二つの未来予想図が描かれます。一つは、現状への危機感から社会全体が平等を目指すという「楽観的な道」です。人々が今のままではいけないと団結し、政治を動かして格差を是正するパワーへと変えていく未来ですね。しかし、もう一方はより厳しい現実を突きつけます。格差が拡大するほど、高い地位にいる者はその維持に必死になり、恵まれない人々を冷ややかに突き放す「悲観的な道」が口を開けて待っているのです。
自己責任論の刃とSNSが映し出す「分断」のリアル
悲しいことに、足元の情勢は二つ目のシナリオ、つまり「不寛容な社会」へと傾斜しているように見受けられます。最近では、SNSを中心に「自己責任」という言葉がまるで免罪符のように振りかざされる場面が増えました。生活保護受給者や貧困層へのバッシングが公然と行われる現状は、まさに社会の余裕が失われている証拠でしょう。ネット上では「上級国民」や「底辺」といった、相手を記号化して分断を煽るような過激なワードが飛び交っています。
社会疫学の観点からも、不平等が拡大する国ほど、地位に基づいた偏見や差別が強まることが研究で指摘されています。社会疫学とは、個人の健康や心理が「社会の仕組み」からどのような影響を受けるかを解き明かす学問ですが、格差は単に財布の中身を分けるだけでなく、人々の心の中に深い溝を作ってしまうのです。格差が生む暴力や犯罪の増加というデータは、決して他国の出来事ではなく、今の日本が直面している切実なリスクといえます。
私は、このまま「持てる者」と「持たざる者」が互いへの想像力を失い続けることに対し、強い危機感を抱いています。自分の位置を客観視できる能力が、他者を攻撃する武器になってしまっては元も子もありません。重要なのは、数字や地位で人を判断するのではなく、社会を構成する一員として「誰もが尊厳を持って暮らせる仕組み」をいかに再構築するかでしょう。私たちが殺伐とした未来を回避するためには、今こそ隣人への共感を取り戻す必要があります。
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