1995年1月17日の午前5時46分、平穏な眠りは突如として奪われました。兵庫県神戸市兵庫区に住む大石博子さんは、当時16歳だった次女の朝美さんを阪神淡路大震災で亡くされています。あれから四半世紀が経過しようとしている2019年11月中旬、娘が眠る墓地には温かな陽光が降り注いでいました。大石さんは、震災直後から現在に至るまで、2日に1度という驚くべき頻度でお墓参りを欠かさずに続けてこられたのです。
墓前で語られるのは、朝美さんの同級生が結婚したことや、新しい命が誕生したことといった、ごく日常的な報告ばかりです。SNS上では、この深い愛情に対し「25年間欠かさず通う母の愛に涙が出る」「震災が奪ったのは命だけでなく、続くはずだった未来なのだと痛感する」といった、共感と切なさが混じった声が多く寄せられています。奪われた家族の絆を一つひとつ確認するように、彼女は亡き娘との対話を大切に重ねていらっしゃいます。
絶望の暗闇から光を見出すまで
震災当日、自宅の2階で被災した大石さんは、猛烈な揺れのあと、何かに強く圧迫されて身動きが取れなくなりました。暗闇の中で長女と朝美さんが呼びかけ合う声を耳にしながら、必死に朝美さんの手を握り続けたといいます。しかし、救助を待つ数時間の間に、その温かな手はいつの間にか離れてしまいました。約3時間後に救出された際、朝美さんはすでに意識を失っており、そのまま帰らぬ人となったのです。
「なぜ私だけが生き残ってしまったのか」。そんな自責の念に駆られ、絶望の淵で泣き暮らす日々が続きました。しかし、そんな彼女を救ったのは残された長女の存在と、震災から5年後に誕生した初孫の笑顔でした。孫の成長を見守り、育児を助ける中で、少しずつ心が前を向き始めたのです。さらに、同じ境遇の遺族との出会いが、彼女を孤立から救い出し、社会との新たな繋がりを作るきっかけとなりました。
「希望の灯り」として繋ぐ支援の輪
2002年ごろから、大石さんはNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」の活動に従事されています。これは、震災の記憶を風化させず、被災者支援を続ける団体です。月命日には神戸市の東遊園地にあるモニュメントを清掃し、仲間たちと語り合います。ここでいう「モニュメント」とは、犠牲者の名前を刻んだ銘板が設置された慰霊碑のことです。同じ痛みを分かち合える仲間との時間は、彼女にとって大きな心の支えになっています。
大石さんの慈愛の心は、神戸の街に留まりません。2018年に発生した西日本豪雨の際には、広島県坂町の被災地へと足を運び、フリーマーケットの開催などを通じて現地の被災者に寄り添いました。「近所の方々に支えられた恩を返したい」というその行動力には、頭が下がる思いです。被災者だからこそ理解できる「寄り添いの心」が、時空を超えて他者の痛みを和らげる力に変わった瞬間だといえるでしょう。
2020年1月17日で震災からちょうど25年。直接死5483人のうち、8割が窒息や圧死という凄惨な現実は、決して忘れてはならない歴史です。大石さんは「震災を知らない世代にも語り継いでほしい」と切に願っています。悲しみを抱えながらも、誰かのために前を向く彼女の姿は、私たちに本当の強さと再生のあり方を教えてくれます。過去を忘れるのではなく、共に生きる。その決意が、次世代への確かなバトンとなるはずです。
コメント