2019年6月25日、半導体業界の巨人であるルネサスエレクトロニクスは、経営トップの電撃的な交代を発表し、市場に大きな衝撃を与えました。呉文精社長兼最高経営責任者(CEO、63歳)が、再任からわずか約3ヶ月という異例の短期間で、6月30日付で退任するとのこと。この背景には、同社の急速な業績悪化があり、事実上の引責辞任と見られています。後任として7月1日付で昇格するのは、これまで最高財務責任者(CFO、46歳)を務めてきた柴田英利氏です。このトップ交代は、呉氏が推し進めてきた大型買収による拡大路線が、いよいよ正念場を迎えたことを示していると言えるでしょう。
ルネサスの発表文には、「今後の経営トップとして期待を満たしていない」と、呉氏に対する厳しい評価が並びました。これは、2018年11月に任意で設置された指名委員会が、トップ交代を取締役会に勧告した結果です。呉氏は、2019年3月の株主総会後の取締役会で再任されたばかりでしたが、この決定により取締役も退くことになりました。指名委員会は、社外取締役3名と鶴丸哲哉会長の計4名で構成されており、関係者によると、業績悪化への対応策などを巡って、指名委員会と呉氏との間で溝が埋まらなかったとのことです。
呉氏の経営手腕に対しては、社内でも不満がくすぶっていました。特に、大型買収を決定した直後に実施された人員削減や研究開発費の抑制といった舵取りは、「本体の競争力を損なうのではないか」との懸念を生んでいたのです。
半導体大手再建の裏側:「陰の立役者」から「表のリーダー」へ
新社長に就任する柴田氏は、これまでのルネサスの再建において「陰の立役者」と呼ばれてきた人物です。東京大学工学部を卒業後、JR東海に入社し、なんと新幹線の運転免許まで持つという異色の経歴の持ち主です。その後、米国ハーバード・ビジネススクールで経営学修士号(MBA)を取得し、2009年に官民ファンドである産業革新機構(現INCJ)に入社しました。
柴田氏の真価が発揮されたのは、革新機構がルネサス支援を決定した際の投資責任者としての役割でした。2013年にはルネサスの取締役に転じ、革新機構在籍中から一貫して、破綻寸前に追い込まれたルネサスの救済スキーム策定と再建に奔走してきました。世界で戦える半導体メーカーを目指して2010年に発足したルネサスは、東日本大震災や円高の影響で経営危機に陥り、金融支援を受けながら大幅な人員削減や工場売却などの厳しいリストラを断行し、2015年3月期には現在の体制になって初めて最終黒字を達成しています。
その後、ルネサスの成長を託されたのが、カルソニックカンセイ社長や日本電産副社長の経験を持つ呉氏でした。2016年6月、革新機構の主導で社長兼CEOに就任した呉氏は、買収による拡大路線を描きます。2017年2月には米インターシル、そして2019年3月には米インテグレーテッド・デバイス・テクノロジー(IDT)を、合わせて1兆円を超える巨額で買収し、主力製品であるマイコンと組み合わせて利用するアナログ半導体という分野を強化しました。
巨額買収路線の功罪と残された経営課題
呉氏は「ルネサスを変える」と買収の意義を強調していましたが、その華々しいM&Aの裏側で、本体の競争力低下という深刻な問題が進行していました。既存事業への必要な投資が不十分となり、顧客離れを招いた結果、主力の自動車向け半導体などの分野でシェアが低下しました。その結果、2019年1月から3月期の連結営業損益は12億円の赤字に転落しました。決算期変更のため単純比較はできませんが、この期間としては7年ぶりの赤字という厳しい数字です。
赤字の一因として挙げられるのが、2018年に表面化した在庫問題です。半導体需要の予測を誤り、在庫が過剰に積み上がったことが、工場の稼働率低下を招きました。2019年に入り、主要工場の稼働を一時停止するなどの抜本的な「止血」策が講じられましたが、需要の変動が大きい半導体市場への対応力が、ルネサスにとって依然として大きな課題として残されました。
さらに、巨額の買収が財務体質を圧迫しています。2019年3月末時点の有利子負債は9,651億円と、2018年12月末の約5倍にまで膨れ上がりました。また、買収価格と買収先の純資産の差額を示す**「のれん」(専門用語解説:買収した企業の時価純資産額を超えて支払った金額のことで、将来の収益力への期待値とも言えます)は9,000億円を超えており、将来的に収益が見込めなくなった場合に資産の価値を切り下げる「減損リスク」**を抱えています。ルネサスの幹部でさえ、IDT買収については「価格が割高だった」と認める状況です。
市場の評価も厳しく、株価は2017年11月には1,500円台を付けていましたが、現在は500円台にまで下落しています。筆頭株主であるINCJが招いた経営トップを巡る混乱は、今回が初めてではありません。2015年末にも、元日本オラクル社長だった遠藤隆雄氏が半年で会長兼CEOを辞任しており、当時の革新機構と成長戦略を巡って対立があったと見られています。
市場が待ち望む「成長路線回帰」への具体策
新社長の柴田氏は、かつて業績回復を果たした2016年に取締役を外れ、退任説もささやかれたことがありましたが、2018年には再び取締役に復帰しています。CFOとして呉氏とともに大型買収を主導してきた経緯があるため、柴田氏は買収の成果を証明すると同時に、業績のV字回復を急ぐという極めて重い責任を担うことになります。
2019年6月25日、柴田氏は「成長路線に回帰するよう尽力する」とのコメントを発表するにとどめました。SNSなどでは、「再建のプロがようやく表舞台に」「今度こそルネサスを立て直してほしい」「巨額の借金をどうするのか具体的な計画が聞きたい」といった、期待と同時に厳しい視線が交錯する反響が見受けられます。これまで再建の過程で手腕を発揮してきた「陰の立役者」柴田氏は、このルネサスの窮地を救い、市場の期待に応える具体的な戦略を示せるのか。半導体業界、そして日本の産業界全体が、その一挙手一投足に注目しています。
コメント