2019年07月09日、これまで破竹の勢いで上昇を続けてきた東京地区の建築用鋼材市場に、明らかな変化の兆しが見え始めました。建設ラッシュを象徴するH形鋼が約2%の下落を記録したことを皮切りに、山形鋼やみぞ形鋼といった主要な鋼材も次々と値下がりに転じています。SNS上でも「ついに五輪特需が落ち着いてきたのか」「建設コストが下がるなら歓迎だ」といった、市場の転換を敏感に察知する声が上がっており、業界全体に緊張感が走っています。
現在の流通価格を見てみると、建物の下地材などに使われる「山形鋼」や「みぞ形鋼」は1トン当たり8万6000円前後、さらに「軽量C形鋼」は10万円前後で推移しています。これらは今春と比較して1000円程度の値下がりを見せており、率にして約1%の調整が入った形です。特に市場を牽引してきたH形鋼が約3年ぶりに下落した事実は重く、基礎工事に欠かせない異形棒鋼の価格も弱含みの展開を見せており、長く続いた強気相場が踊り場を迎えたと言えるでしょう。
ここで専門用語について少し触れておきます。H形鋼とは断面が「H」の形をした、大型ビルの骨組みに使われる非常に頑丈な鋼材のことです。また、山形鋼は断面が「L」字の形をしており、一般的に「アングル」とも呼ばれる汎用性の高い素材です。これらは日本の建設現場を支える屋台骨であり、その価格変動は不動産価格や企業の設備投資計画にまで直結する重要な指標なのです。今回の下落は、これらの素材が市場に余り始めていることを物語っています。
五輪特需の一服と「在庫過剰」という現実
相場を下押ししている最大の要因は、市中在庫の積み上がりです。日本製鉄系の商社などで組織される「ときわ会」の報告によれば、2019年05月末時点の全国のH形鋼在庫は22万6500トンに達しました。需給のバランスが取れているとされる20万トンの大枠を大きく超えており、在庫を早く手放したい問屋側が、安値での販売に踏み切っているのが実情です。これまで供給が追いつかなかった状況から、一転して供給過剰の局面へと移り変わっています。
本来、春から初夏にかけては建築需要が落ち着く「不需要期」にあたりますが、ここ数年は異例の事態が続いていました。2020年の東京五輪に向けた競技施設や選手村、さらに宿泊需要を見込んだホテル建設が相次ぎ、10年ぶりの高値圏を維持していたのです。しかし、2019年07月現在、五輪関連の主要な構造物工事はほぼ完了し、鋼材の出荷も一巡しました。お祭りの後のような静けさが、そのまま数字となって市場に表れているのだと私は分析しています。
さらに注目すべきは、電炉メーカーの雄である東京製鉄が発表した値下げです。彼らは2019年07月の契約分において、H形鋼を約4%、みぞ形鋼を約6%も引き下げる決断を下しました。市場関係者からは「現状の取引実態に合わせただけ」という冷ややかな意見も聞こえますが、メーカーが公式に「値下げ」というメッセージを発信した影響は計り知れません。これが「もっと安くなるはずだ」という買い控えを呼び、さらなる相場の下落を招くきっかけとなるでしょう。
見えない壁「ハイテンボルト」不足が工事を阻む
一方で、鋼材の需要そのものが消えたわけではありません。都心部では依然として大規模な再開発プロジェクトが目白押しです。それにもかかわらず荷動きが鈍い背景には、深刻な「ハイテンボルト(高力ボルト)不足」があります。ハイテンボルトとは、高い引張力を利用して鉄骨を強固に締め付ける特殊なボルトで、建物の安全性を担保する要です。これが手に入らないために、鋼材があっても組み立てが進められないという皮肉な事態が起きているのです。
優先度の高い五輪関連施設にボルトが優先的に供給される一方で、中小規模のビル建設などは調達が大幅に遅れ、工期が後ろにずれ込んでいます。その結果、本来使われるはずだった鋼材が市場に滞留し、在庫を押し上げる要因になっています。また、米中貿易摩擦の影響で機械や電子部品向けの鋼板需要も停滞しており、建築用鋼材の弱気ムードは、日本の産業素材全体に冷や水を浴びせかねません。単なる価格調整と楽観視せず、今後の経済全体への波及を注視すべきです。
今後の展望として、私はこの「鋼材安」が一時的なものではなく、国内景気の成熟と変化を示すサインであると考えています。供給過剰と資材不足という矛盾した状況が解消されない限り、市況の本格的な回復は見込めないでしょう。建設コストの低下は施主にとっては朗報かもしれませんが、素材供給網の目詰まりは日本経済の成長スピードを鈍らせる懸念を孕んでいます。これからの数ヶ月、鋼材価格が底を打つのか、あるいはさらなる調整が続くのか、一瞬たりとも目が離せません。
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