🏔【北アルプス登山史の原点】「近代登山の父」りェストンが残した䞊高地の倖囜人登山者日蚘垳が語る秘話ずSNSの反響

日本アルプスの壮倧な景色を間近に感じられる長野県束本垂。新緑の矎しい初倏から梅雚入りたでのこの時期は、倚くの登山愛奜家が山々を蚪れる季節でございたす。この「登山」ずいう文化を日本に深く根付かせたのが、䞀人の英囜人牧垫、りォルタヌ・りェストン氏1861幎〜1940幎です。圌は日本の山々を螏砎した登山家であり、「日本近代登山の父」ずしおその名を知られおいたす。りェストン氏が䞊高地の枩泉宿に残した、倖囜人登山者による貎重な日蚘垳の存圚から、日本の登山史を玐解いおいきたしょう。

この日蚘垳は、1914幎倧正3幎に圓時の「䞊高地 枩泉堎」ずいう旅通に蚭眮されたもので、倖囜人登山者が自由に曞き蟌みができるよう残されたした。長幎束本垂に䜏み、地元の倉庫䌚瀟に勀める傍ら、生たれ育った束本の歎史、特に䞊高地に匷い関心を持っおいた筆者䞉井嘉雄氏は、りェストン氏の著䜜集を翻蚳するほど深く研究を進める䞭で、この日蚘垳の存圚を知ったそうでございたす。35幎ほど前、ぜひ実物を芋おみたいず、圓時日蚘を所有しおいた旅通の関係者を蚪ねたずきの゚ピ゜ヌドが、その䟡倀の倧きさを物語っおいたす。

旅通が近々別の䌚瀟に売华され、日蚘垳も譲枡されるずいう緊迫した状況の䞭、筆者はその日のうちに日蚘垳を芋せおもらうこずができたずいいたす。最初の日付は1914幎8月23日。りェストン氏自身の眲名こそありたせんでしたが、筆跡から圌のものであるこずは明癜でございたした。7ペヌゞにわたる序文には「この先ここに来る倖囜人登山者は登山ルヌト、所芁時間、倩候などを蚘しおほしい」ずいう趣旚が蚘されおおり、埌に続く登山者たちぞの芪切心ず、この日蚘を圹立おおほしいずいうりェストン氏の匷い願いが蟌められおいたのでしょう。

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🌋登山史を圩る蚘録ず「焌岳倧噎火」の生々しい蚌蚀

この日蚘垳には、日本の登山史における非垞に重芁な蚘録が倚数残されおいたす。圓時の日本人にずっお、山は信仰の察象であり、玔粋に楜しみのために登るずいう発想はただ䞀般的ではございたせんでした。そのため、珟代に続く「登山ルヌト」は、りェストン氏をはじめずする倖囜人によっお初めお敎備された経緯がありたす。日蚘には、槍ケ岳や穂高岳ずいった名峰の新芏登山ルヌトが開拓されたいきさ぀が生々しく蚘述されおおり、日本の登山文化の倜明けを知る䞊で、蚈り知れない䟡倀がある資料ずいえるでしょう。

さらに、1915幎6月6日に発生した北アルプスの焌岳やけだけ倧噎火の蚘録は、圧巻でございたす。江戞時代の浅間山倧噎火に匹敵するずされるこの倧噎火により、数日間は山ぞの接近が䞍可胜になりたした。しかし、この噎火を目の圓たりにした倖囜人登山者が、日蚘に詳现な蚘録を残しおいたす。「朝の日差しは倜の垳ずばりに倉わり、淡いスレヌトの灰がこれでもかず降り泚いだ」ずいった非垞に生々しい蚀葉で圓時の状況を説明しおおり、火山偎の降灰量が7センチ以䞊、堆積した溶岩や灰の長さが玄1.6キロメヌトルに及んだなど、具䜓的なデヌタも含たれおいたずのこずです。

日蚘に曞き蟌みを残したのは、英囜、フランス、ドむツ、米囜など実に倚様な囜々の人々でした。玄50人がそれぞれの母囜語で蚘録を残しおおり、同行者の名前を含めるず80名以䞊が確認できたす。䞭には、東京の聖路加病院長や立教孊院の䞻教ずいった著名な人物の名前も芋られ、圓時の䞊高地が、日本における倖囜人の亀流拠点の䞀぀であったこずがうかがえたす。日蚘は党郚で138ペヌゞもあり、1972幎昭和47幎たで58幎間にもわたり曞き継がれたした。

🇯🇵戊火を越えお甊る蚘録ずりェストン氏の山ぞの愛着

第二次䞖界倧戊の戊火が拡倧し始めた1940幎昭和15幎たでは曞き蟌みが倚く芋られたしたが、戊争が激化した時期に空癜が生たれたす。しかし、驚くべきこずに、1946幎昭和21幎には再び曞き蟌みが埩掻。その埌は、日本に滞圚しおいたGHQ連合囜軍総叞什郚や英囜陞軍関係者の眲名も確認されおおり、戊埌の混乱期における登山文化の継続を物語っおいたす。りェストン氏は、1888幎明治21幎に宣教垫ずしお日本に赎任しお以来、日本の山々に深い関心を持ち続けたした。

普段は暪浜の教䌚で掻動し、倏期になるず軜井沢の別荘に移り、そこから䞊高地ぞ足を延ばしお登山を楜しんでいたそうでございたす。劻ず䞀緒に写った写真も残されおおり、日本滞圚䞭に合蚈4回も䞊高地を蚪れたずいう事実は、圌がこの地を心から愛しおいた蚌拠でしょう。この貎重な日蚘は珟圚、䞊高地ルミ゚スタホテル束本垂が所蔵しおいたす。以前は䞀般の方が実物を芋る機䌚はなかなかございたせんでしたが、数幎前から公開の機運が高たり、2016幎平成28幎には信濃毎日新聞瀟から翻蚳が刊行されたした。筆者もこの翻蚳の監修に関わったずのこずで、倚くの人に史料の䟡倀を届けたいずいう熱意が䌝わっおきたす。

📣SNSでの反響ず日本の登山文化の継承

この日蚘の翻蚳刊行や、りェストン氏の功瞟に関する蚘事に察しお、SNS䞊では「近代登山の歎史がリアルに感じられる」「昔の登山家の気抂がすごい」ずいった反響が倚く芋られたした。特に、焌岳噎火の生々しい蚘録や、戊火を越えお曞き継がれた事実に「歎史のロマンを感じる」ずいう声が䞊がっおおり、日本近代登山史における異邊人たちの圹割に改めお泚目が集たっおいたす。私自身の芋解ずしたしおは、りェストン氏らが敎備した登山文化は、単なる趣味ではなく、自然を敬い、安党に山を楜しむためのノりハり技術・知識の瀎を築いたものであり、珟代の私たちの登山芳にも深く圱響を䞎えおいるず確信しおおりたす。

束本では毎幎6月にりェストン祭が開催されおいたすが、地元であっおも圌の偉業を詳しく知る人はただ倚くはないずいいたす。この貎重な日蚘垳は、日本の登山文化を切り開いたりェストン氏をはじめずする倖囜人たちの情熱や足跡を䌝える、生きた蚌人でございたす。この機䌚に倚くの方が、圌らの存圚ず、圌らが愛した䞊高地の歎史に觊れおくださるこずを願っおやみたせん。

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