戦争は「国際法」で本当に防げるのか?米国・イラン緊迫の今こそ知りたい平和へのルールと日本の現在地

2019年07月05日現在、中東情勢はかつてないほどの緊張に包まれています。米国とイランの対立が深まる中、私たちは「また大規模な戦争が始まってしまうのではないか」という不安を拭いきれません。人類は悲惨な大戦を経験するたびに、二度と同じ過ちを繰り返さないための「国際法」という仕組みを築き上げてきました。しかし、現実には今この瞬間も衝突の火種は消えていません。法で戦争を封じ込めることは、果たして可能なのでしょうか。

SNS上では、連日のように「第三次世界大戦の足音が聞こえる」「結局、国際法は無力なのではないか」といった悲観的な意見が飛び交っています。一方で、「自衛権の範囲はどこまでなのか」と、武力行使の正当性を巡る議論も活発です。私たちは今、平和を守るためのルールが正念場を迎えている現場に立ち会っているといえるでしょう。これまでの歴史を振り返りながら、現在の国際社会が直面している課題を、専門的な視点から紐解いていきましょう。

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「正しい戦争」という考え方の変遷と国際法の誕生

かつての国際社会には、驚くべきことに「正しい理由があれば戦争は合法である」という考え方が存在していました。1625年に「国際法の父」と呼ばれるグロティウスが記した『戦争と平和の法』では、自己防衛や財産の回復といった正当な理由に限って戦争を認める「正戦論(せいせんろん)」が提唱されました。これは、どんな理由でも戦争をして良いわけではなく、あくまで「権利を守るための手段」として戦争を位置づけたものです。

ところが、18世紀半ばを過ぎると、何が「正しい理由」かを判断するのは難しいという現実に直面します。その結果、「主権国家が手続きを踏んで行う限り、戦争は合法である」という無差別戦争観が主流となりました。つまり、国家が自らの意思で行う戦争を、法が制限することは極めて困難な時代が長く続いたのです。この考え方が、その後の世界を巻き込む大規模な惨劇を招く一因となったことは否定できない事実でしょう。

1900年代に入り、ようやく武力行使を制限する動きが本格化します。1907年にはポーター条約が結ばれ、さらに悲惨な第1次世界大戦を経て、1919年には国際連盟規約が誕生しました。1928年08月27日にはパリ不戦条約が署名され、ついに「国家の政策手段としての戦争」が禁止されたのです。しかし、これらの条約には違反に対する制裁がなく、自衛権の名の下で行われる軍事行動を止める力はまだ備わっていませんでした。

国連憲章が変えた「武力行使」のルールとその抜け穴

第2次世界大戦という未曾有の悲劇を終え、1945年10月24日に国際連合が発足しました。国連憲章の第2条4項は「すべての加盟国は、武力による威嚇や武力の行使を慎まなければならない」と明確に定めています。ここで言う「武力行使(ぶりょくこうし)」とは、端的に言えば他国に対して軍隊を使うことです。これが国際法で原則として「違法」とされたことは、人類の歴史において画期的な出来事だったと言えるのではないでしょうか。

もちろん、例外は存在します。国連安全保障理事会の決議がある場合や、自国を守るための「自衛権(じえいけん)」を行使する場合です。しかし、この例外こそが現代の紛争を複雑にしています。例えば、2018年04月14日の米英仏によるシリア攻撃は、化学兵器使用に対する制裁という名目でしたが、ロシアは安保理決議がないことを理由に国際法違反だと批判しました。武力行使の形態が多様化したことで、解釈の「抜け穴」が生じやすくなっているのです。

現在の米国とイランの対立においても、国際法の枠組みが抑止力として働いています。2019年06月に発生した米軍無人機の撃墜事件を巡り、米国が即座に報復攻撃を行わなかった背景には、国際的な正当性を得ることが難しいという判断があったと考えられます。安保理決議がない状態での攻撃は、国際社会からの孤立を招きかねません。例外はあるにせよ、かつてのように大国同士が簡単に正面衝突できない仕組みは、一定の機能を果たしているのです。

平和な「日本」のこれからと私たちに求められる意識

わが国に目を向けると、憲法9条によって交戦権を否認し、戦力の不保持を掲げてきました。これは世界でも類を見ないほど、武力行使に対して抑制的な法体系です。1954年に自衛隊が発足して以来、日本は「自衛権」を認める解釈を確立しつつも、2014年07月01日の閣議決定を経て、2016年03月29日に施行された安全保障関連法に至るまで、極めて慎重に議論を重ねてきました。日本が歩んできた道は、常に平和を模索する挑戦の連続だったのです。

2019年05月01日の代替わりの際、多くの国民が「平成は戦争のない時代だった」と胸をなでおろしました。しかし、北方領土を戦争で取り返すといった趣旨の発言をする政治家が現れるなど、平和が当たり前になりすぎたゆえの「当事者意識の欠如」を感じざるを得ない場面もあります。世界ではテロやサイバー攻撃といった新しい形の「戦争」が現実のものとなっており、もはや日本にとって戦争は他人事ではありません。

私は、国際法は決して万能な魔法の盾ではないと考えています。それは、人類が血を流しながら作り上げた「最後の一線を越えさせないための理性の砦」です。法が完全に争いを消すことはできなくても、大国間の破滅的な衝突を70年以上防いできた事実は重く受け止めるべきでしょう。今こそ、私たち一人ひとりが国際社会のルールに関心を持ち、いかにして平和を維持し続けるかを真剣に議論すべき時が来ているのではないでしょうか。

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