俳優・国広富之を育んだ父の厳しさ、母の優しさ――デビューを支えた父の「運のいい男だ」という言葉の真意とは?

俳優として長きにわたり活躍する国広富之さんが、ご自身のルーツとも言えるご両親との関係について、率直な思いを語ってくださいました。国広さんが生まれ育った環境は、映画やドラマ制作の現場に深く関わるお父様の影響が色濃く、幼少期から華やかな世界を垣間見る機会が多かったそうです。お中元やお歳暮を携えた美しい女優さんが玄関に立つ、まるでテレビコマーシャルのような場面に遭遇することも頻繁にあったといい、そのような環境が自然と国広さんの役者の道への関心を育んだのかもしれませんね。

お父様は、佐賀の刀鍛冶の家柄で、京都へ出て制作の仕事をされていた九州男児です。仕事柄、人当たりは良かったそうですが、国広さんにとっては厳しく怖い存在でした。何本もの作品を掛け持ちしていたため、家にいることは滅多になく、ロケが雨で中止になった時には、見知らぬ男性たちが集まって麻雀に興じる姿を目の当たりにされたといいます。国広さんを褒めることは一切なく、いじめられて泣いて帰ると「やり返してこい」と促すほどのスパルタ教育だったようですね。大人になった今、その厳しさの裏にある大切さは理解できるものの、子育てにおいては「反面教師」にすることが多く、必要以上に甘くなってしまったと語っていらっしゃいます。

スポンサーリンク

「食っていけないぞ」役者を目指す息子への父の忠告

一方で、お母様は優しさそのもののような方でした。女学校を出てお茶やお花も学んだ、どこに出しても恥ずかしくないように育てられたというお母様は、国広さんが困っている時には常に庇い、叱る時も京言葉で「あかんえ」と穏やかな口調だったそうです。お母様が作ってくれたゆり根の卵とじやかす汁が大好物で、「何があっても母だけは泣かすまい」と考えて生きてきたという言葉からは、深い愛情と感謝の念が伝わってきますね。

大学時代にエキストラのアルバイトに没頭していた国広さんが、卒業を控えた1年ほど前に「どうしても役者をやりたい」と打ち明けた時、お父様は猛反対されました。役者の世界を間近で見てきたお父様は、給料などの実情を知っていたからこそ、「食っていけないぞ」と忠告されたのでしょう。しかし、最終的には「まあ2~3年やってみたら」と折れてくださったそうです。お母様は役者の世界がよく分からなかったためか口出しはされませんでしたが、心配されていたことと思います。

デビューされてからは、お母様は一番のファンとして国広さんを応援してくださったそうです。そして、あんなに反対していたお父様も、なんとマネジメント会社を設立し、仕事の整理や上京までして、国広さんの活動を支える側に回られたというのです。経営のセンスはさておき、喜んで息子のために動いてくださったというエピソードからは、不器用な愛情が垣間見えます。厳しかった九州男児の親心が、最後に最大の支援となったのでしょう。

SNSでも共感を呼ぶ「運のいい男だ」という言葉の重み

国広さんは、ご両親が亡くなるまで俳優を続けられたことが、最大の親孝行だと考えていらっしゃいます。お父様からは「おまえは運のいい男だ」という言葉をかけられたそうです。確かに国広さんは楽天的な性格で、デビュー直後から役にも恵まれたと振り返っていらっしゃいます。ここまで自分を信じて真っ直ぐに進んできたつもりだけれど、結局はそんな自分を支えてくれていたのはご両親だったのだろうと、深く感謝の念を述べておられます。

2019年6月4日付けの記事で明かされたこの親子関係のエピソードは、「厳しさの裏にある愛情」「不器用な親の支え」として、多くの読者の共感を呼ぶことでしょう。特に「運のいい男だ」という言葉の裏には、「苦労を覚悟で飛び込んだ世界で、よくぞ続けてくれた」という、お父様の安堵と誇りが込められているように感じられます。SNS上でも「厳格な父が実は一番応援していたという話に泣けた」「親は子どもの成功を心の底から願っている」といった反響が寄せられそうです。国広富之さんのように、1953年京都府出身で、「岸辺のアルバム」「噂の刑事トミーとマツ」「西郷どん」といった人気ドラマや映画で活躍し続けられるのは、確かにご自身の努力に加え、見えないご両親の支えと巡り合わせがあったからに違いありません。この記事が制作された時点では、国広さんは8月に明治座で「ももクロ一座特別公演」に出演予定であるなど、その活躍は止まることを知りません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました