京都を訪れる旅行者や地元の人々に愛される「鴨川デルタ」という場所をご存知でしょうか。ここは賀茂川と高野川が合流して「鴨川」へと名を変える三角州の通称で、現在は世界最大の旅行サイトでも人気の行楽地として紹介されています。しかし、この場所がかつて「糺(ただす)河原」と呼ばれ、神聖な儀式や華やかな興行の舞台だったことは意外と知られていません。2019年07月25日現在、SNSでは「散歩に最適」「映画の聖地」として日常的に話題にのぼっています。
この地を古くから守り続けているのは、北側に広がる「糺の森」の奥に鎮座する世界遺産・下鴨神社です。宮司の新木直人さんによれば、江戸時代末期の地図にはすでにこの場所が描かれており、自然の力で生まれた新しい土地として大切に扱われてきました。ちなみに「糺」という言葉は、川の中州を指す「只(ただ)州」という表現が変化したものだという説が有力です。かつては今よりも広大な敷地を誇り、相撲や競馬(くらべうま)などが催される、まさに庶民の社交場でした。
歴史を彩る足利将軍のビッグイベントと「水の商売」
歴史を紐解くと、1464年には室町幕府の足利将軍家が主催する「勧進猿楽(かんじんさるがく)」という空前絶後のイベントが開催されました。勧進興行とは、寺社の修繕費用などを集めるためのチャリティー公演のようなものです。当時は約114メートルにも及ぶ巨大な観覧席が設けられ、将軍・足利義政や日野富子もその芸に酔いしれたと記録されています。身分を超えて多くの人々がこの河原に集まり、熱狂していた様子は、現代の野外フェスさながらの盛り上がりだったに違いありません。
また、驚くべきことに江戸時代にはこの場所の「水」そのものが商品として流通していました。「賀茂河水弘所(みずひろめどころ)」と呼ばれる拠点があり、早朝に汲み上げた新鮮な水を樽に詰め、わざわざ大坂まで運んでいたのです。合流地点の水は質が良いとされ、お茶や化粧水、さらには絵の具の溶剤としても重宝されました。京都産業大学の鈴木康久教授によれば、当時の宣伝チラシである「引き札」からも、そのブランド力の高さがうかがえるといいます。
スクリーンを彩る風景と「亀の飛び石」に込められた願い
近代に入ると、鴨川デルタは「映画の街・京都」を象徴するロケーションとなりました。1923年に関東大震災を逃れた松竹の撮影所が隣接地に開設されたことをきっかけに、数多くの作品がここで産声を上げました。撮影所が閉鎖された後も、『パッチギ!』や『鴨川ホルモー』といった人気映画のロケ地として選ばれ続けています。多くの若者が青春を謳歌するシーンの背景にこの景色があるのは、どこかノスタルジックな美しさが漂っているからでしょう。
川面に並ぶユニークな「飛び石」が登場したのは、1993年のことです。考案者の吉見重則さんは、川底を保護しつつ人々が水に親しめるようにと、長方形だけでなく亀や千鳥の形をした石を配置しました。設置当初は「景観を損なう」という厳しい意見もありましたが、現在では83基の石たちが風景に溶け込み、子どもたちが歓声を上げて渡る姿は夏の風物詩となっています。「鴨川デルタ」という愛称が広まったのも、ちょうどこの石が設置された頃だと言われています。
『方丈記』を記した鴨長明は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と綴りました。時代とともに川の形が変わり、集う人々が変わっても、この場所が持つ心地よさは不変です。歴史の重層性と現代の活気が見事に調和した鴨川デルタは、まさに京都の鼓動を感じられる場所だと言えるでしょう。かつての勧進興行に思いを馳せながら、亀の石をぴょんぴょんと渡ってみれば、新しい京都の魅力が見つかるかもしれません。
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