核燃料サイクルの「負の遺産」に1兆円超?人形峠から始まった夢の跡と、私たちが向き合うべき廃炉の現実

かつて、エネルギー自給の鍵として大きな期待を背負った「核燃料サイクル政策」。その輝かしい歴史の裏側で、いま「後始末」という極めて困難な壁が立ちはだかっています。2018年、日本原子力研究開発機構は、所有する79もの施設を廃止する計画を明らかにしました。その完了までには、気の遠くなるような70年という歳月を要すると見込まれています。

SNS上では「これほどまでの巨額負担が次世代に回されるのか」「技術の進歩の代償があまりに大きい」といった、将来の負担を不安視する声が次々と上がっています。高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉や、使用済み燃料の再処理を担ってきた東海再処理施設の解体など、いわば政策の出口戦略が、いま日本の大きな課題となっているのです。

スポンサーリンク

国産技術の聖地、人形峠が物語る「黎明期」の光と影

岡山と鳥取の県境に位置する人形峠環境技術センターは、日本の原子力開発における聖地とも言える場所でした。1956年、日本は「エネルギーの源を国内資源に求める」という強い決意を掲げ、この地でウラン鉱山の開発に着手したのです。1970年代からは、ウランを濃縮して燃料へと加工するための「遠心分離」技術の研究が本格化しました。

ここで言う「濃縮」とは、天然のウランに含まれる燃えやすい成分の割合を高める技術を指します。この技術は、平和利用の枠を超えれば核兵器開発にも直結する極めてデリケートなものです。そのため、1974年のインドによる核実験以降、国際的な「核拡散防止条約(NPT)」のもとで、厳しい監視と制限が課されることとなりました。

日本は1979年頃、この高度な技術の国産化にほぼ成功しました。人形峠で生産された300トン以上のウラン燃料は全国の原発へと供給され、技術的な成功を収めたかに見えました。しかし、2001年に運転を終えた後の「廃止措置」、つまり施設の解体や汚染の除去というプロセスにおいて、さらなる難題が浮き彫りになったのです。

膨らみ続ける「後始末」の代償と政治の責任

現在、この後始末にかかる費用は想像を絶する規模に達しています。2018年9月に廃止を申請した人形峠の施設だけでも約100億円。さらに、東海再処理施設に至っては、なんと1兆円を超える巨額の予算が必要と試算されています。これらはすべて、かつて国策として推し進めてきたプロジェクトの「清算」にほかなりません。

問題は、その資金調達の仕組みが整っていないことです。電力会社のような民間の発電事業者と異なり、国立の研究機関である原子力機構は、将来の廃炉に備えた「引当金」の積み立てが制度上できませんでした。当時の副理事長が「次世代に借金が残る」と悲鳴を上げた背景には、単年度予算という行政の壁に阻まれた、厳しい現場の苦悩が透けて見えます。

2019年11月05日の会見で、梶山弘志経済産業相(当時)は安全優先での廃止を強調しましたが、具体的に誰が、どうやってその天文学的な費用を捻出するのかという議論は、今も迷走を続けています。かつて1967年、与野党が一致して「国の責任において強力に推進する」と誓ったこの政策は、今や党派を超えて再考すべき時を迎えています。

編集者の視点から言えば、夢の技術を追い求めた過去を責めるのは簡単です。しかし、真に問われるべきは、華々しい「導入」の陰で「終わり方」を議論してこなかった政治の不作為ではないでしょうか。技術の恩恵を受けた私たちは、負の側面からも目を逸らさず、科学的・政治的に誠実な議論を尽くすべきでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました