長野県飯山市の静かな街並みに、100年以上の時を刻み続ける和菓子店「大黒屋」があります。この名店で戦前から大切に受け継がれてきた「福最中(ふくもなか)」をご存じでしょうか。正方形の香ばしい皮の中に、艶やかなあんこが隙間なく詰め込まれたその姿は、まさに幸福の象徴そのものと言えるでしょう。一見すると伝統的な最中ですが、一口頬張れば、その意外な味わいに驚かされるはずです。
このお菓子の最大の特徴は、あんこの甘さを引き立てる絶妙な塩加減にあります。創業者のこだわりが生んだこの隠し味は、食べた瞬間に広がる柔らかな甘みの中に、心地よい塩味をアクセントとして添えてくれるのです。現在、店を切り盛りする3代目店主の佐藤信一さんは、2019年11月02日現在も、祖父から受け継いだ当時の製法を頑なに守り続けています。
SNS上では「甘じょっぱさがクセになり、何個でも食べられる」「お茶請けに最高」といった声が溢れており、その評判は瞬く間に広がりました。本来「福最中」という格式高い名前がありながら、その独特の風味に気づいたファンからは、いつしか「塩もなか」という愛称で親しまれるようになったそうです。今では県内外、さらには海外からも注文が入るほどの人気を博しています。
不屈の精神で守り抜く職人の誇り
しかし、この伝統の味を守り続ける道のりは決して平坦なものではありませんでした。2019年10月には、台風19号による千曲川の氾濫という未曾有の災害が飯山市を襲います。大黒屋も店舗が1メートル近く浸水し、大切なショーケースや菓子作りに不可欠な機械類が壊滅的な被害を受けました。誰もが途方に暮れるような状況下で、佐藤さんの決断は驚くほど迅速なものでした。
「職人は止まってはいけない」という強い信念のもと、佐藤さんはすぐさま資金調達に動き、設備の刷新を決断されました。驚くべきことに、被災からわずか10日後の2019年10月下旬には営業を再開させています。このスピード感には、地域の人々も大きな勇気をもらったことでしょう。私自身、こうした困難に屈しない職人魂こそが、味に深みを与える一番のスパイスだと感じてやみません。
ここで専門用語を少し解説しますと、あんこに塩を入れる工程は「塩慣らし」に近い効果を生みます。塩を加えることで甘さが際立ち、後味がスッキリする現象を「味の対比効果」と呼びます。大黒屋の最中が、単に甘いだけでなく「なめらか」だと評されるのは、この科学的な理にかなった先人の知恵が、感覚的に受け継がれてきたからに他ならないのです。
1つ150円という手頃な価格で提供される「福最中」には、100年の歴史と復興への願いが凝縮されています。JR飯山駅から徒歩15分ほどの場所にある店舗では、今日も佐藤さんが理想の味を求めて厨房に立っています。災害を乗り越え、さらに輝きを増した伝統の味を、ぜひ一度その舌で確かめてみてください。手土産に選べば、きっと贈った相手にもその「福」が伝わることでしょう。
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