激動の金融史に大きな足跡を刻んだ旧東京三菱銀行の元頭取、岸暁氏が2019年11月22日にこの世を去りました。彼が歩んだ道のりは、まさに日本経済が最も苦しんだバブル崩壊後の混乱期そのものです。特に1998年2月から始まった全国銀行協会連合会(全銀協)会長としての1年3カ月は、日本の銀行界の運命を決める重要な転換点となりました。
岸氏が全銀協会長に就任したのは、1998年1月に東京三菱銀行の頭取となってから、わずか1カ月後のことでした。本来の交代時期ではないタイミングでの登板は、当時の旧三和銀行頭取が大蔵省接待汚職事件の責任を取って辞任したためです。この予期せぬスクランブル発進が、その後の凄まじい危機管理能力を世に知らしめることになったのでしょう。
「カミソリ」の異名を持つ決断力と業界再編への情熱
当時の銀行業界を取り巻く環境は、まさに「逆風」という言葉では足りないほどの荒天でした。エリートの象徴だった「MOF担(モフたん)」の廃止や、日本長期信用銀行の経営破綻など、銀行への信頼は地に落ちていたのです。ここで岸氏は、業界のプライドを捨てて公的資金による資本注入を受け入れるという、極めて重い決断を下しました。
公的資金の注入とは、政府が税金を使って銀行の資本を補強することを指します。当時は「不良銀行のレッテルを貼られる」と多くの金融機関が拒絶反応を示していましたが、岸氏は粘り強く周囲を説得しました。この決断がなければ、日本の金融システムは維持できなかったかもしれません。仕事に妥協を許さない鋭さから、彼は「カミソリ岸」と畏怖されました。
しかし、その鋭利な仮面の裏には、深い人情が隠されていたようです。接待汚職で罰金を科された部下を思いやり、匿名で現金を渡そうとしたエピソードは、彼の温かい人柄を物語っています。SNS上でも「厳しさの中に今の時代に欠けている責任感がある」「冷徹なエリートだと思っていたが、実は部下思いの熱い人だった」といった声が寄せられています。
プライベートではクラシック音楽を愛し、居間にフルートと譜面台を置く風流な一面もありました。冷徹な銀行屋としての顔と、芸術を愛する繊細な心の同居こそが、彼の魅力だったのでしょう。バブルという負の遺産に真っ向から挑み、現代の金融界の礎を築いた岸氏の功績は、これからも語り継がれるべきだと私は強く感じます。
コメント