日本政治の巨星がついに落つ。2019年11月29日の午前、中曽根康弘元首相が101歳の天寿を全うされ、静かにこの世を去りました。昭和から平成、そして令和へと続く激動の時代を駆け抜けたその生涯は、まさに日本近代史そのものと言っても過言ではありません。「戦後政治の総決算」を旗印に掲げ、硬直化した旧来のシステムを次々と打破した手腕は、今なお多くの人々の記憶に刻まれていることでしょう。
1918年5月27日に群馬県高崎市で産声を上げた中曽根氏は、東京帝国大学を卒業後に内務省へ入省しました。戦時中は海軍主計少佐として前線を経験し、1947年の衆議院議員選挙にて28歳の若さで初当選を果たします。一貫して自主憲法の制定を訴え続けるその情熱的な姿は「青年将校」と評され、若き政治家として異彩を放っていました。その後、岸内閣での初入閣を経て、日本の未来を見据えた数々の重要ポストを歴任していきます。
「ロン・ヤス」関係がもたらした日米同盟の新時代
中曽根政権を語る上で欠かせないのが、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン氏との蜜月関係です。互いをニックネームで呼び合う「ロン・ヤス」の関係は、冷戦下における日米同盟をこれまでにないほど強固なものへと昇華させました。また、防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠という聖域を撤廃し、わが国の防衛力の重要性を説いた決断力は、国際社会における日本の存在感を一気に高める結果となったのは間違いありません。
内政においても、その功績は計り知れないものがあります。特に土光敏夫氏を起用して断行した三公社(国鉄、電電公社、専売公社)の民営化は、現在私たちが享受しているJRやNTT、JTといった企業の礎となりました。行政の肥大化を防ぎ、民間の活力を導入するという改革精神は、まさに現代社会の先駆けです。1806日に及んだ長期政権は、三角大福中と呼ばれた群雄割拠の時代を勝ち抜いた強靭な政治力の証と言えます。
SNS上では「ひとつの時代が終わった」「国鉄民営化がなければ今の鉄道はなかっただろう」といった、その功績を称える声が溢れています。一方で、靖国神社への公式参拝が外交問題の契機となった点については、今もなお議論が交わされる複雑な側面でもあります。しかし、100歳を超えてもなお憲法改正やアジア外交について発言を続けたその衰えぬ意欲は、多くの保守派議員にとって精神的な支柱であり続けました。
引退後も大勲位として重鎮の地位にありながら、常に「日本はどうあるべきか」を問い続けた中曽根氏。101年という長い旅路を終えた今、私たちは氏が残した宿題をどのように引き継いでいくべきなのでしょうか。戦後日本の枠組みを作り変えた不屈の政治家に対し、心からの敬意と哀悼の意を表したいと思います。本当にお疲れ様でした。
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