中曽根康弘元首相が死去、2019年11月29日に刻まれた「戦後政治の総決算」とリアリズムの真髄

日本の近現代史に巨大な足跡を残した中曽根康弘元首相が、2019年11月29日に101歳でその生涯を閉じました。「戦後政治の総決算」という力強いスローガンを掲げた氏の訃報に、SNSでは「昭和という時代が本当の意味で終わった」「国鉄民営化の断行は今の日本を作った土台だ」といった追悼の声が次々と寄せられています。

若かりし頃の中曽根氏は、自ら「憲法改正の歌」を作詞して披露するなど、そのタカ派的な言動で自民党内でも異彩を放つ存在でした。タカ派とは、防衛力の強化や憲法改正などに対して非常に積極的で、強硬な姿勢を持つ政治勢力を指す言葉です。しかし、1982年11月27日に第71代内閣総理大臣へ就任すると、意外なほどの柔軟性を見せることになります。

首相の座に就くやいなや、氏は「憲法改正は政治スケジュールに載せない」と断言し、周囲を驚かせました。これは、自らが抱く理想と、当時の国民感情や政治状況という「現実」を冷静に見極めた高度な政治判断といえるでしょう。自らの信念を貫くだけではなく、今何ができるのかを冷徹に分析するリアリストとしての顔が、ここに鮮明に現れています。

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国鉄改革と「行革グライダー」が支えた長期政権

発足当初は、ロッキード事件の影響下にあった田中角栄氏の支援を受けていたことから「田中曽根内閣」と揶揄され、短命に終わるという見方も少なくありませんでした。しかし、中曽根氏は国民生活に直結する行政改革を断行します。特に、ストライキが常態化し経営が破綻寸前だった国鉄の分割民営化は、戦後最大の改革の一つとして今も語り継がれています。

中曽根氏は、こうした行政改革による支持率の向上を「行革グライダー」という言葉で表現しました。本来のエンジンである党内基盤が弱くても、改革という上昇気流を捉えれば政権は高く長く飛べるという知恵です。実際に、1982年から約5年間にわたる長期政権を築き上げた手腕は、後の「劇場型政治」の先駆けであったと評価できるのではないでしょうか。

外交面においても、中曽根氏の先見の明は際立っていました。当時のアメリカの国力変化を察知し、日米安保に頼り切るのではなく、自国で防衛力を整備する必要性を痛感していたのです。防衛費のGNP(国民総生産)1%枠という当時のタブーを撤廃した決断も、日米関係を対等なパートナーシップへと押し上げようとする強い意思の表れでした。

晩年の氏は、自らの経験を後世に伝えるべく精力的に回顧録を執筆しました。一部では「自分に都合の良い記述だ」という声も上がりましたが、当事者が生の声を残すことは、歴史を検証する上で計り知れない価値を持ちます。今の政治家たちも、自らの決断がいかに未来を形作るのか、中曽根氏のように歴史を意識した姿勢を学ぶべきだと感じます。

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