2019年7月2日現在、世界経済の先行きの不透明感や、アメリカ合衆国(米国)における利下げ観測など、通常であれば円高を誘発する材料が相次いでいるにもかかわらず、為替市場では一方向の急速な円高にはなっていない状況です。ドル円相場は、直近で1ドル=108円台で推移していますが、6月下旬には米国の利下げ観測を受けて一時的に約5カ月半ぶりの円高水準となる106円台をつけました。しかし、7月1日には再び円安方向に押し戻されており、背景には中長期的な日本経済の構造変化が大きく影響している可能性が指摘されています。
足元の円安への動きを誘発した要因としては、6月29日に開催された米中首脳会談で貿易協議の再開が決定したことが挙げられます。これにより、市場にはリスク回避の姿勢が和らぎ、リスク選好(リスクの高い資産を選びやすくなること)の動きが出たとの見方が有力です。しかし、さらに長期的な視点で見ると、日本における少子高齢化の進行により、多くの高齢者がこれまでに蓄えた貯蓄を取り崩して生活するようになることで、経常収支(貿易や投資などで海外との間で発生した取引の収支)が悪化し、結果として円安を招くという見方が根底にあります。SNSでは「長期的には円安トレンドは不可避なのか」「海外投資をしている身としては好ましいが、将来の物価上昇が心配」といった、日本経済の先行きを案じる声も聞かれ、大きな反響を呼んでいます。
この構造変化を象徴するのが、家計貯蓄率の顕著な低下です。家計貯蓄率とは、貯蓄額を可処分所得額(収入から税金や社会保険料などを差し引いた、自由に使えるお金)で割った値です。内閣府の国民経済計算によれば、1990年代には10%を超える水準で推移していましたが、2000年代以降は一桁台で推移し、2017年度にはわずか2.5%にまで低下しています。特に2013年度には、統計上初めてマイナスを記録するなど、低下傾向が鮮明になっていることが分かります。この背景には、15歳以上65歳未満の生産年齢人口が1990年代半ばから減少し始め、全人口に占める高齢者の割合が右肩上がりに上昇している点があります。高齢者は、現役時代に備蓄した貯蓄を取り崩す傾向があるため、高齢化の進行は家計全体の貯蓄率を押し下げる大きな要因となっているのです。
経常収支は、家計、企業、政府といった国内部門の貯蓄投資バランスと海外部門との差額で構成されています。2017年度においては、家計の11.3兆円や企業の24.3兆円などの黒字が、政府のマイナス15兆円を上回り、全体としては黒字を確保していました。しかし、家計貯蓄率の低下は、この家計部門の黒字を縮小させ、ひいては経常収支の悪化につながります。通常、経常収支の黒字が大きいと、貿易などで得た外貨は給与の支払いのために円に交換されるため、外貨売り・円買いが発生し、円高の要因となります。したがって、経常収支が悪化すれば、この円高圧力が弱まることになるのです。
加えて、日本企業による海外への直接投資の増加も、円安要因として無視できません。直接投資とは、企業が海外の事業に対して、経営参加や長期的な利潤獲得を目的として行う投資です。これは多くの場合、現地の通貨で株式を取得するなど外貨買い・円売りの要因となります。人口減少に伴う国内市場の縮小が予測される中で、みずほ銀行の唐鎌大輔氏は「この傾向が今後さらに加速する可能性が高い」と指摘しています。実際に、経常収支からこの直接投資を差し引いた基礎収支は、2018年度には4年ぶりにマイナスに転じました。
これらの構造的な変化の結果として、為替市場の動向を見る上で重要な実質実効為替レート指数と、実際のドル円相場との乖離が拡大しています。実質実効為替レートとは、様々な貿易相手国の物価水準や貿易額を考慮して、総合的な通貨の購買力を示す指標で、その国の通貨が国際的に見て割高か割安かを測る目安となります。2019年5月末時点の実質実効為替レート指数は、約20年前に比べて3割ほど円安に振れていますが、実際のドル円相場は、同期間で約1割円高になっています。この乖離は、1990年代以降のデフレ(継続的な物価下落)や低インフレ(緩やかな物価上昇)が原因とされています。シティグループ証券の高島修氏は、今後、家計貯蓄率が一段と低下すれば「実際の相場も実質レートに近づいていく可能性がある」と予測しています。
私の意見としては、この構造的な円安圧力は、政府・日本銀行が目標とする「2%の物価上昇」を達成するための追い風となる側面があると考えています。円安は、日本の輸出企業の国際競争力を高め、収益の改善に寄与するメリットがありますし、輸入品価格の上昇を通じて国内のインフレ率を押し上げる効果も期待できるからです。しかし、円安が行き過ぎてしまうことには大きな懸念も抱かざるを得ません。高島氏が指摘するように、極端な円安は「日本の財政への信認が低下するリスク」を招く可能性があるからです。少子高齢化という避けられない構造変化の中で、日本経済が安定した成長軌道を描くためには、財政規律の維持と、国際的な信頼を損なわない慎重な政策運営が、これまで以上に重要になってくるでしょう。
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