香港といえば、かつてブルース・リーが世界を熱狂させたカンフー映画や、手に汗握る警察アクション、さらには独特のユーモアが光るコメディまで、多種多様なエンターテインメントを輩出してきた「東洋のハリウッド」です。そんな映画の都を象徴する巨匠のひとりが、ウォン・カーウァイ監督ではないでしょうか。洗練された映像美で知られる彼の作品群において、1997年に公開された『ブエノスアイレス』は、ファンの間でもひときわ異彩を放つ一作として語り継がれています。
この物語が特別なのは、男性同士の切ない恋愛を描いている点だけではありません。それまで一貫して香港の街並みと、そこに生きる人々をカメラに収めてきた監督が、あえて地球の裏側にあるアルゼンチンの首都を舞台に選んだことに大きな意味があるのです。狭い島々と半島に密集して暮らす香港の人々にとって、広大な大地を持つブエノスアイレスは、物理的にも心理的にも最も遠い場所といえるでしょう。しかし、2019年11月15日現在の香港を見渡すと、その境界線が曖昧になっているように感じられます。
「汚い戦争」の再来か?軍事政権下の弾圧と重なる現代の悲劇
近年の香港が辿っている軌跡は、かつてのアルゼンチンが経験した暗黒の時代を彷彿とさせます。1976年にクーデターで実権を握ったビデラ政権は、民主化を求める人々を徹底的に排除しました。数千人規模の政治犯が犠牲となったこの弾圧は、歴史的に「汚い戦争」と呼ばれています。軍事政権が周辺国と手を組み、自国民を追い詰めた惨劇は、今まさに北京の強い意向を背負い、市民への強硬姿勢を崩さない香港当局の姿に重なって見えるのは私だけではないはずです。
SNS上では、連日のように衝撃的な映像が拡散され、世界中から悲痛な叫びが上がっています。催涙弾の煙が街を覆うなか、建物から転落して命を落とした大学生や、警官に至近距離から銃撃され重体に陥った若者のニュースは、人々に深い絶望を与えました。表現の自由や民主主義を求めて声を上げる若者たちが、国家権力という巨大な壁に跳ね返される構図は、あまりに不条理であり、かつての南米で起きた人道危機と驚くほど似通っているのです。
当時のアルゼンチンは、苛烈な政治弾圧の末に経済的な破綻という代償を支払うことになりました。しかし、その深い闇の中で耐え忍んだ人々の中から、現在のフランシスコ教皇のような希望の光も生まれています。独裁と暴力が支配した地に、いつか平和が訪れることを信じる声は、今の香港市民にとっても心の拠り所でしょう。権力による制圧がさらなる混迷を招くのか、それとも新たな時代の胎動となるのか、私たちは今、歴史の重大な転換点に立ち会っているのです。
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