🚀**【2019年5月】** なぜ富山の高校生は東京より石川へ?首都圏「定員厳格化」が生んだ「石川志向」の真相と地元の本音

二〇一五年三月の北陸新幹線開業で、首都圏志向が強まると見られていた富山県の高校生。しかし二〇一九年五月二十八日の報道は、意外な実態を明らかにしました。なんと、富山から首都圏(一都三県)への進学率の伸び(約一ポイント増)よりも、お隣の石川県への進学率(三ポイント増)の方が、大きく伸びているというのです。二〇一八年春の実績では、石川県の四年制大学に進んだ富山の高校生は二割を突破し、二十一・五パーセントに達しました。

この「石川志向」の最大の要因は、二〇一六年度から始まった文部科学省による「私立大学の定員厳格化」です。これは、学生が集中しすぎる都市部の大学に対し、入学定員を一定以上超えると補助金をカットするという強硬な施策でした。結果、首都圏の大学は合格者数を絞らざるを得なくなり、受験生にとっては「狭き門」となったのです。当時のSNSでも、「定員厳格化のせいで、ワンランク下の大学しか受からなかった」といった受験生の悲痛な声が目立ちました。

首都圏という「受け皿」が機能不全に陥る中、その学生たちの新たな選択肢として急浮上したのが、大学数が多い石川県でした。北陸大学(金沢市)は二〇一九年五月十五日に富山第一高校と連携協定を結び、金沢星稜大学(同市)は二〇一九年から富山県からの進学者に月三万円の費用補助(CLS制度)を開始するなど、富山からの学生獲得に、まさに「攻め」の姿勢で臨んでいます。

私自身、この現象は非常に示唆に富んでいると感じます。定員厳格化政策の本来の目的は「地方大学の活性化」でしたが、蓋を開けてみれば、学生は自県(富山)に戻らず、近隣の中核都市(石川)に流出しただけ、という構図です。富山県のある企業首脳が「(石川ではなく)北陸以外の地で学び、外の空気に触れてほしいのが本音」と漏らした言葉は、この政策の歪みを的確に突いています。近場で完結していては、多様な人脈や広い視野は養われない、という危機感の表れでしょう。

もちろん、「学生を奪われる」形となった富山県内の大学も、この事態に強い危機感を抱いています。富山大学は二〇一八年に都市デザイン学部を新設し、二〇二〇年度からはデータサイエンスを必修化するなど、「大学の魅力」そのものを高める改革を急ピッチで進めています。果たしてこの「石川志向」の流れを、地元富山に取り戻すことができるのか。地方大学間の生き残りをかけた戦いは、ますます激化していきそうです。

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