栃木県日光市に鎮座し、世界遺産としても名高い「日光の社寺」は、勝道上人が山を開いて以来、1200年を超える悠久の時を刻んできました。この聖地の魅力を江戸時代から現代へと語り継いでいるのが、唯一の公認ガイドとして知られる「堂者引き(どうじゃびき)」という存在です。専門的な知識はもちろん、参拝者の心を解きほぐす案内術は、まさに伝統芸能のような趣を感じさせます。
そんなプロ集団の中でも、キャリア40年を誇るベテラン、春日武之さんの案内は格別です。2019年12月初旬に行われたツアーには、寒空の下でも24名の熱心な参加者が集まりました。春日さんは、1949年12月26日に発生した今市地震の影響で8センチメートルもズレてしまった石鳥居など、教科書には載っていないような生きた歴史の断片を、ユーモアを交えながら次々と披露していきます。
「へぇ〜」と驚く参加者に対し、「塀(へい)ではなく鳥居ですよ」と即座にダジャレで返す春日さんの話術に、雪が舞う境内の空気も一気に和らぎます。SNS上でも「春日さんの解説を聞くと日光の見え方が180度変わる」「ブラタモリで見たあの名調子をナマで聞きたい」といった声が溢れており、彼のファンが全国各地から訪れる理由も頷けるでしょう。
受け継がれるプロの矜持と「虎の巻」
堂者引きとは、もともと寺社へ参拝する人々を案内し、宿泊などの世話を焼いた専門職を指す言葉です。春日さんは、病に倒れたお母様を支えるため、25歳だった1977年にこの道へと進みました。当初はご両親の願いで始めた仕事でしたが、「やるからには何を聞かれても答えられる玄人を目指す」と心に決め、独学で膨大な専門書を読み漁ったという努力の人でもあります。
日光東照宮の象徴である陽明門には、500体を超える緻密な彫刻が施されていますが、その一つひとつに込められた意味を解き明かすのは容易ではありません。春日さんは相手の年齢や出身地、さらには歴史の知識量に合わせて、話す内容やトーンを巧みに使い分けます。ただ事実を並べるのではなく、相手の興味を惹きつける「生きた解説」こそが、真のガイドに求められる技術なのです。
NHKの人気番組「ブラタモリ」に出演した際も、タモリさんを相手にアドリブを交えた見事な案内を披露し、大きな話題を呼びました。現在は28名のガイドを束ねる組合の理事長を務める春日さんですが、今もなお、肌身離さず持ち歩く「虎の巻」の手帳に新たな知識を書き加え続けています。飽くなき探究心を持つ彼にとって、日光の魅力に「終わり」という文字はないのかもしれません。
歴史的な背景を知ることで、ただの美しい建築物が、命を宿した物語へと姿を変えます。世界遺産の真の価値を肌で感じたいのであれば、こうした専門ガイドと共に歩む時間は、何物にも代えがたい贅沢な体験になるはずです。時代の変化を見守り続ける日光の森で、春日さんの軽快な語り口は、今日も訪れる人々の心に深い感動を刻み続けています。
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