【ヤクルト】孤高の打点王・畠山和洋が引退、練習嫌いの若手が「チームの要」へと覚醒した19年の軌跡

野武士を彷彿とさせる荒々しい風貌と、見る者を圧倒する豪快なスイング。東京ヤクルトスワローズの中軸としてファンを沸かせた畠山和洋選手が、2019年シーズンの終わりとともに19年にわたる現役生活に幕を閉じました。SNS上では「ハタケの勝負強さは唯一無二」「ヤクルト一筋で戦う姿が大好きだった」といった惜別の声が溢れています。

自他ともに認める「練習嫌い」として知られた彼ですが、引退に際しては「もっと真面目にやっていれば、さらに突き抜けた成績を残せたかも」と冗談めかして語ります。しかし、その表情に悔恨の念は見当たりません。自身の奔放な性格も含めて「畠山和洋」という一人の打者が完成したことを、誰よりも彼自身が受け入れているからです。

2000年12月14日のドラフト会議で5位指名を受け、岩手県の専大北上高校から入団した当時は、まだ和製大砲の候補生に過ぎませんでした。若き日の彼は、寮の門限破りや練習への遅刻を繰り返すなど、二軍生活で足踏みをしていました。そんな彼を叩き直したのは、当時の首脳陣が課した、早朝から深夜22時まで続く過酷なトレーニングメニューでした。

「好きでやった練習は一度もない」と断言する彼が、野球への探究心に目覚めたのは一軍に定着し始めた入団8年目頃のことです。新外国人選手が加入するたびに出場機会を奪われる危機感から、彼は自身の「信頼」を勝ち取るためにバットを振り込みました。結果、誰にも真似できない独自の打撃フォームを確立することに成功したのです。

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バレンティンの影で掴んだ「打点王」への新境地

畠山選手の代名詞といえば、深く腰を落として構え、上から叩きつけるようなフルスイングです。このフォームは、安打を量産した名選手・和田一浩氏にアドバイスを仰ぎ、試行錯誤の末に生み出されました。しかし、彼が最も誇りとしていたのは、長打そのものではなく「いかにして目の前の1点を奪うか」という献身的な姿勢にありました。

大きな転機となったのは、2013年にチームメイトのバレンティン選手が日本記録の60本塁打を放ったシーズンです。前を打つ最強打者が敬遠されることで、彼には重圧のかかる好機が次々と巡ってきました。「凡退すれば何を言われるか」という恐怖心が彼のバットを鈍らせましたが、その苦悩の末に、一つの答えに辿り着きました。

それは「チームのために最低限の仕事を完遂する」という思考です。たとえ三振が許されない場面でも、右方向へ転がして走者を帰す。そんな泥臭い「チーム打撃」の積み重ねが、首脳陣からの絶大な信頼へと繋がりました。特定の個人成績を追うのをやめた2015年、彼は105打点を叩き出し、見事に最多打点のタイトルを獲得したのです。

しかし、輝かしいキャリアの裏で体は限界を迎えていました。2019年に入ると、下半身の故障により生命線である走り込みができなくなります。「体が無理だと訴えてきた」と語る通り、走れないことで打撃の状態も上がらない悪循環に陥り、ついにユニフォームを脱ぐ決断を下しました。満身創痍の中での、あまりにも潔い決断でした。

2020年からは二軍打撃コーチとして、かつて自らが汗を流したグラウンドで後進の育成にあたります。練習嫌いだった自分を棚に上げつつも、彼は「チームのために打席に立つ大切さだけは厳しく教える」と誓っています。彼の教えを受けた若手たちが神宮の夜空にアーチを描く日を、ファンは心待ちにしていることでしょう。

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