宇野康秀の不屈の挑戦!USEN-NEXTを導く動画配信の旗手が「Never too late」に込めた信念

インターネット産業が幕を開けてから約四半世紀。テクノロジーの荒波に揉まれ、多くの起業家が消えていく中で、しぶとく最前線を走り続ける男がいます。USEN-NEXT HOLDINGSの社長、宇野康秀氏です。彼の歩みは、まさに日本のネット興亡記そのものと言えるでしょう。2019年12月20日、彼は再び「最終章」の主役として注目を集めています。

かつて宇野氏が創業したインテリジェンスに、一人の青年が訪れたのは1996年のことでした。後のサイバーエージェント社長、藤田晋氏です。宇野氏は藤田氏の類まれなる「本気度」を見抜き、彼の起業を全面的に支援しました。この師弟関係は、後に日本の動画配信市場を大きく変える運命的な出会いとなったのです。

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受け継いだ宿命とブロードバンドへの賭け

宇野氏の人生が激変したのは1998年6月のことでした。実父である元忠氏から、大阪有線放送社の後継を託されたのです。当時の同社は「電柱の無断使用」というグレーな問題を抱えていました。宇野氏はこれを合法化させるという難題をクリアし、さらに世界初となる商用光回線の普及に乗り出しました。

「ブロードバンド」とは、大容量のデータを高速で送受信できる通信回線の総称です。宇野氏はこのインフラの先に、動画配信という未来を確信していました。2002年には楽天の三木谷氏と組み、都度課金制の動画サービスを開始。しかし、当時はまだ視聴者がお金を払ってネット動画を見る文化は熟していませんでした。

無料動画の先駆者「Gyao」の誕生と米国の影

そこで宇野氏が2004年末に閃いたのが、広告収入で視聴料を無料にする「Gyao」のモデルでした。かつての弟子・藤田氏に相談した際、「シンプルで面白い」と太鼓判を押されたことで自信を深めたといいます。自社スタジオで独自番組を制作し、三木谷氏や村上世彰氏といった大物ゲストを招く手法は、ネット界に大きな衝撃を与えました。

SNSでは当時の熱狂を振り返り、「テレビの代わりになると思った」「あの頃のGyaoは尖っていた」といった声が多く寄せられています。しかし、同時期にアメリカのシリコンバレーでは「YouTube」が産声を上げていました。宇野氏はこの黒船の脅威をいち早く察知していましたが、過去の違法ビジネスを浄化した立場上、著作権のグレーゾーンに踏み込むことはできなかったのです。

リーマンショックの荒波を超えて

順風満帆に見えた宇野氏を襲ったのは、2008年9月のリーマンショックでした。世界的な金融危機はネット業界をも飲み込み、宇野氏は一転して厳しい再建の道を歩むことになります。しかし、彼は決してくじけませんでした。「Never too late(遅すぎることはない)」という言葉の通り、彼は何度でも立ち上がります。

個人的な見解を述べれば、宇野氏の強さは「潔癖なまでの誠実さ」にあると感じます。YouTubeのような爆発力は選べなかったとしても、正攻法でインフラを整え、信頼を築いたからこそ今の彼があります。時代の先を読みすぎて苦しんだ天才が、再び王座を狙う姿には、全てのビジネスパーソンが勇気をもらえるはずです。

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