風景は一瞬もとどまることなく移り変わり、かつて水田や森が広がっていた場所は、今や1日8万人もの人々が行き交う大都会、東京・早稲田の大学街となりました。この地こそ、文豪・夏目漱石が生まれ育ち、そして生涯を閉じた特別な場所です。2020年01月18日現在、かつて彼が歩んだ足跡をたどる文学周遊の旅が、多くのファンを魅了しています。幕末から明治へと激動する時代を駆け抜けた漱石にとって、この故郷の変化はどのように映っていたのでしょうか。
名主だった父親が命名したとされる「夏目坂」を上ると、そこには江戸時代からの由緒ある寺町が広がり、一瞬で厳かな空気に包まれます。冬の低い日差しが差し込む静寂な細道の先に、漱石の旧居跡が存在しているのです。この場所には2018年に「漱石山房記念館」がオープンし、SNS上でも「漱石の書斎がリアルに再現されていて感動する」「お洒落なカフェがあって一日中過ごせる」と、文学ファンの間で大きな反響を呼んでいます。
漱石が晩年に執筆した『硝子戸の中(がらすどのうち)』は、1915年1月から2月にかけて新聞連載された随想録、つまり彼自身の経験や感想を自由な形式で書き留めたエッセイのような作品です。当時の世界情勢は、第1次世界大戦や激しい不況など、まさに多事多難な時代でした。明治という一つの時代が終わった喪失感からか、漱石は心の病や持病の胃病を再発させ、「不安で不透明」な社会の中で、自らの生と死を見つめ直していたのです。
作品の中では、恋愛に悩み自殺をほのめかす女性読者に対し、漱石が「時がいやす」と親身に諭し、「死なずに生きていらっしゃい」と力強く励ます感動的な場面が描かれています。早稲田大学の中島国彦名誉教授は、本作を「作家が過去を振り返り、自分を見つめる時期だった。このエネルギーが次の名作へとつながっている」と解説します。まさに、絶望の淵にいる人々を救う言葉が、この街の路地には今も息づいているように感じられます。
生家の隣で今も健在な「小倉屋」の栗林健二さんは、記念館の設立によって外国人観光客が増え、街が国際色豊かになったと語ります。令和の現代も世界は激動していますが、漱石が遺した言葉の数々は決して色あせることはありません。かつて彼が硝子戸を開け放ち、春の光の中で書き終えたという文章は、私たちに生きる勇気を与えてくれます。読者の皆様も、ぜひ漱石の温かな眼差しを感じに、早稲田を歩いてみてはいかがでしょうか。
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