ビジネスパーソンにとって、キャリアの途中で訪れる転機は人生を大きく変えるきっかけになります。日本証券業協会の会長を務める鈴木茂晴氏が、39歳という年齢で米国留学に挑戦したエピソードが大きな注目を集めています。SNSでは「何歳からでも挑戦する姿に勇気をもらえる」「大人の留学のリアルが面白い」といった絶賛の声が相次いでいるのです。
秘書としての職務を全うした鈴木氏は、一転して米国カンザス州にあるウィチタ州立大学へと進学しました。ここは校章にかかしがデザインされているような、のどかな田舎町に位置する大学です。まずはこの地で語学力を磨くことから、彼の新しい挑戦が始まりました。現地では、同じように企業派遣でやってきた日本人の留学生が15名ほど在籍していたそうです。
留学直後に開催された歓迎会において、突然英語でのスピーチを求められる場面がありました。他の留学生による平凡な挨拶が続くなか、鈴木氏は一工夫を凝らしたのです。「ウィチタは知名度が低いが、私はある名曲のおかげでよく知っていた」と語り、かつて米国で大ヒットしたカントリーソング「ウィチタ・ラインマン」を一節、見事に熱唱しました。
学生時代に音楽系のサークルで培った経験が、思わぬ形で異国の地にて花開くことになります。鈴木氏が歌い終えると、会場の大学関係者からは大きな拍手と歓声が沸き起こりました。担当者から「英語の良し悪しは別として、最高のパフォーマンスだった」と称賛されたエピソードは、言葉の壁を越える情熱の重要性を私たちに教えてくれます。
その後、鈴木氏は名門として名高いペンシルベニア大学のウォートン校へと籍を移しました。当初は3ヶ月という短い滞在予定でしたが、当時の日本には未導入だった「株式先物取引」の仕組みを習得するため、会社の許可を得て期間を10ヶ月へと大幅に延ばしたのです。この先物取引とは、将来の特定の日にあらかじめ決めた価格で売買を約束する金融商品の一種です。
いざ講義が始まると、専門的な教科書の内容が全く理解できないという大きな壁に直面します。鈴木氏は個人指導の家庭教師を雇い、完璧な予習を重ねて必死に教授の解説に耳を傾けました。しかし、現地の学生たちが飛び交わせる高度な質問のレベルには、容易についていくことができなかったと当時を振り返っています。
難解な講義に追われる日々の中で、当時はこの学びが将来どのように役立つのか疑問を抱く瞬間もあったそうです。しかし数年後、現在の投資銀行業務における基盤となるルールの多くが、米国のビジネススクールが授与する経営学修士(MBA)の課程で構築されている事実に気づきます。ここで得た知見は、後のキャリアで何度も強力な武器となりました。
一見すると無駄に思えるような経験であっても、人生のどの場面で役に立つかは誰にも分かりません。このように、目の前の課題に泥臭く真摯に向き合い続ける姿勢こそが、不確実なビジネス社会を生き抜くために最も必要なマインドセットであると私は強く確信しています。無駄な経験など何一つなく、全ては未来の糧になるのです。
一方で、アメリカでの私生活は非常に充実したものでした。物価の安い田舎町では、ゴルフ場の利用料がわずか5ドルという破格の安さだったそうです。手引きのカート代である15ドルを節約するため、自分で重いバッグを担いで3ラウンドもコースを回るなど、タフで活動的な休日を過ごしていました。
ウォートン校での食事は、昼は学生食堂、夜は韓国風の焼き肉店へ頻繁に足を運んでいました。それまで調理の経験が一切なかった鈴木氏ですが、この滞在を機にインスタントラーメン程度であれば自炊できるまでに成長したのです。生活面におけるちょっとした変化や自立も、大人になってからの留学がもたらす面白い醍醐味と言えるでしょう。
日常の様々な場面でおおらかな気風を持つ米国ですが、飲酒の規制に関しては驚くほど厳格な一面を持っていました。日曜日には小売店でお酒の販売が禁止され、21歳未満の若者への販売も徹底して制限されていたのです。体格が良く酒量が増えがちな国民性から、アルコール依存症を防ぐための社会的措置なのだと鈴木氏は分析しています。
自動販売機で手軽にビールが購入できる日本の環境を伝えると、現地の米国人からは「子供でも買えてしまうなんて狂っている」と猛烈にあきれられたそうです。こうした文化や価値観の違いを肌で直接感じ取ることができる点も、海外に身を置いて学ぶことの大きな意義に他なりません。
帰国の時期が近づき人事部へ連絡を入れると、次の配属先として国際引受部を提示されました。しかし、当時のその部署には優秀な同期が多数在籍していたため、鈴木氏は自身の活躍の場を冷静に考え直したのです。そして、秘書時代にその業務を間近で見て興味を抱いていた、事業法人部への異動を自ら希望しました。
与えられた道をただ歩むのではなく、自分の強みが活きる場所を直感と冷静な分析で見極める決断力こそ、彼が後にトップへ登りつめる要因となったのでしょう。39歳での米国留学という大きな挑戦と、現地での泥臭い努力の足跡は、現代の全ビジネスパーソンにとって進むべき道を照らす至高のバイブルとなるはずです。
コメント