歴史の定説を覆し、時として熱狂的な支持を集める「偽書(ぎしょ)」の世界に、あなたは魅力を感じますか。今回ご紹介するのは、藤原明氏の著書『日本の偽書』(河出文庫・760円)です。この一冊は、歴史書を装いながらも、実際には後世に創作された文献、すなわち偽書がどのように生まれ、広まっていったのかという、その成立と流布の過程を丹念に追いかけています。
本書が取り上げる代表的な偽書には、神武天皇の時代よりもさらに古い日本史を描き出すという『上記(うえつふみ)』や、広く知られた『日本書紀』や『古事記』には登場しない古代王朝が、現在の青森県津軽地方にかつて栄えていたと主張する『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』などがあります。これらは常識的に考えれば荒唐無稽(こうとうむけい)、つまり現実離れした内容なのですが、なぜこれほどまでに人々を惹きつけ、広く信じられてしまったのでしょうか。
藤原氏は、偽書が生まれる背景には、いくつかの重要な要素があったと分析しています。一つは、従来の正史(国が公式と認めた歴史書)では満たされない、異なった歴史像に強く惹かれる超国家主義者たちの存在です。彼らは、主流の歴史観では語られない、より壮大で権威のある歴史を偽書の中に求め、自らの主義主張を裏付けるための拠り所として利用したのでしょう。
また、中央の権力から遠く離れた東北地方、特に『東日流外三郡誌』が舞台とする津軽地方に対する、一種のロマンや憧憬(どうけい)、つまり「遠い未開の地にこそ真の古代史が隠されているのではないか」というような幻想も、偽書を支持する大きな土壌となっていたようです。本書は、こうした人々の心理や社会的な背景が、いかに歴史の「創作」を可能にしてきたかを鮮やかに描き出しています。
私自身、歴史編集者として、この「偽書」という現象は極めて興味深いテーマだと考えています。というのも、偽書は、単なる嘘の歴史ではなく、それを生み出し、信じようとした人々の**「願望の歴史」そのものだからです。人間が抱く「ありえたかもしれない、こうあってほしい」という強い願いが、文書という形を取って具現化した姿と言えるでしょう。この願望こそが、荒唐無稽な内容であっても人を魅了する、偽書の持つ強い力なのでしょう。
この話題は、SNS上でもたびたび議論の的となっています。特に『東日流外三郡誌』に関しては、「ロマンとしては面白いが、史実としてはありえない」といった冷静な声から、「正史とは違う別の歴史を考えるきっかけになる」という肯定的な意見まで、様々な反響が見受けられます。これは、人々が「真実」と「物語」の間で、歴史への思いを揺り動かされている証拠でしょう。
藤原明氏の『日本の偽書』は、単に特定の文献が「偽物である」と断罪するだけでは終わっていません。その裏に潜む、人々の歴史観や思想、そして地理的なコンプレックス**といった、人間の心の闇と光を浮き彫りにしています。2019年6月1日に文庫化されたこの本は、偽書というレンズを通して、私たちが普段信じている「歴史」とは何か、そして人間がいかに物語を必要とする生き物であるかという、根源的な問いを投げかけていると言えるでしょう。
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