三菱航空機(愛知県豊山町)が開発を進めている民間航空機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」が、ついに大きな転換期を迎えました。2019年6月19日、フランス・パリ郊外で開催されている国際航空ショーにて、同社はブランド名を「スペースジェット」へ一新し、米市場を主軸とした戦略を大々的に発表したのです。この決断は、これまで「初の国産ジェット」というロマンを追い続けてきたプロジェクトが、小型機の世界市場で勝ち残るための現実路線へと舵を切ったことを鮮明に示しており、日本の航空機産業全体にとっても大きな転機となるでしょう。
この戦略転換の背景にあるのは、世界最大の市場である米国を攻略する必要性です。特に、米国市場には、パイロットの労働条件を保護するための「スコープ・クローズ」と呼ばれる労働協約の規制が存在します。これは、実質的に、リージョナルジェット(小型の地域間輸送用ジェット機)の運航座席数を76席以下に制限するものであり、中大型機の市場を小型機に奪われないための参入規制となっているのです。MRJは当初、この規制緩和を見越して、より大型の90席クラスの開発を2008年から始めていましたが、目算が外れてしまいました。元開発関係者は、プロジェクトの初期段階では日本のローンチカスタマー(最初に機体を発注する顧客)であるANA(全日本空輸)を強く意識していたと振り返っています。
しかし、100席未満の小型ジェット市場は、北米市場が全体の4割を占めるほどの巨大市場であり、2020年から2038年までの間に、年間200機以上の更新需要を含む5,000機以上の需要が見込まれています。この巨大な市場で戦うため、三菱航空機は、規制の基準に合致する70席クラスの追加機種の開発戦略を表明しました。この70席クラスの機体が、実質的にスペースジェットの主力製品になる見通しです。競争力を最優先するこの姿勢こそ、プロジェクトを成功に導くために不可欠な要素だと私は考えます。
MRJプロジェクトは、開発費の一部を国が補助し、愛知県を中心とした国内の航空部品サプライヤーを活用するなど、「初の国産ジェット開発」という強い使命感を帯びていました。しかし、その実態は、親会社である三菱重工業が6,000億円を超える開発費を投入し、これまでに5度も納入を延期するなど、多大な困難に直面してきました。2018年には、三菱航空機の1,100億円の債務超過を解消するため、三菱重工が2,000億円規模の金融支援に踏み切っています。ロマンから現実主義へと切り替える三菱重工は、なりふり構わず最大の米市場を取り込みにかかっているのです。
開発体制と部品調達のグローバル化
スペースジェット計画では、開発部隊も外国人を中心とする体制へと移行しています。責任者には、ライバル機であるボンバルディアの「Cシリーズ」の開発に携わったアレックス・ベラミー氏が就任するなど、外国人の優秀な人材を大量に投入しています。この露骨な人材獲得策は、ボンバルディアから技術を流出させたとして提訴される事態にまで発展しましたが、世界で戦うためのプロ集団を作るという強い意志の表れでしょう。また、部品調達や生産においても、北米を意識した動きが顕著になってきました。
パリ航空ショーでのアピールは、エアライン大手だけでなく、米国のサプライヤーに広く呼びかけ、さらなるコスト低減を図る狙いもあるのです。MRJの部品の国産調達比率はもともと3割程度でしたが、今回の戦略転換により、これがさらに縮小する可能性があります。三菱航空機の水谷久和社長は「国産という言葉は意味の広い言葉」だと指摘しており、狭義の国産ジェットにこだわっていては国際的な競争力が低下するという判断を示しています。
さらに、将来的な選択肢として米国での現地生産も視野に入れているようです。水谷社長は「海外生産はあくまで将来の選択肢の一つ」と述べていますが、愛知県を中心としたサプライヤーの多くは、航空機が自動車に次ぐ日本のリーディング産業になると期待し、MRJ向けに設備投資を行ってきた企業もあり、動揺が広がっていることは想像に難くありません。この点については、日本の航空機産業の育成という視点と、世界市場での競争力獲得という視点のバランスを、今後どのように取るのかが大きな課題になるでしょう。
また、三菱重工が水面下で進めていたのが、カナダの航空機メーカー、ボンバルディアの小型機「CRJ」事業の買収交渉です。この買収が実現すれば、スペースジェットを北米で販売した後に、CRJのアフターサービス拠点や人員を確保できるほか、「CRJの利用航空会社に対し、老朽化後にスペースジェットを売り込むこともできる」と交渉関係者は語っています。出遅れを挽回し、大逆転を狙うための、まさに攻めの一手です。しかし、赤字のCRJ事業にはリスク資産も多いとみられており、三菱重工内部には慎重な意見も強いようです。
この戦略転換は、ソーシャルメディア(SNS)上でも大きな反響を呼んでいます。「国産へのこだわりを捨てるのは寂しいが、ビジネスとしては当然の判断だ」「競争に勝つために海外の技術を取り込むのは正しい選択」「いよいよ現実味を帯びてきた。早く空を飛ぶ姿を見たい」といった、期待と懸念が入り混じった意見が多く見受けられました。開発期間が10年を超え、これ以上の遅れが許されない状況において、三菱航空機が「スペースジェット」として世界市場でどのような存在感を示すのか、今後の動向に注目が集まるでしょう。
コメント