1980年代後半、ファンケルは基礎化粧品の成功に続き、大きな決断を下します。1987年より、多くの要望が寄せられていたメーキャップ化粧品への参入を開始したのです。しかし、そこには「無添加」という譲れない哲学ゆえの、想像を絶する困難が待ち受けていました。防腐剤や合成着色料を一切使わない製品作りは、まさに茨の道だったのです。
特に開発を悩ませたのが口紅でした。天然の色素だけに頼ると、どうしても表現できる色彩が限られてしまいます。当初、製品化できたのはわずか5色という心許ないラインアップでした。そこで池森氏は「他にない色を作ろう」と、なんと黒と緑の口紅を発売するという驚きの策に打って出ます。時代を先取りしすぎたのか、売れ行きは芳しくありませんでしたが、その妥協なき姿勢は業界に一石を投じました。
常識を覆すカラー診断システムの開発
ファンデーションの色選びも大きな壁でした。通信販売を主軸とする中、電話だけでお客様に最適な色を伝えるのは至難の業です。ここで池森氏は「お客様に選んでもらうのではなく、こちらから提案する」という逆転の発想に辿り着きます。武蔵野美術大学の千々岩英彰教授と協力し、1000人以上のモニター調査を経て、画期的なカラー診断システムを構築しました。
これはコンピュータで質問に答えるだけで、似合う色を導き出すという、現代のレコメンド機能の先駆けともいえる仕組みでした。しかし、当時のパソコンの性能では正確な色再現が追いつかず、惜しくも2年ほどで運用を断念することになります。ネット上では「当時そんな先進的な取り組みをしていたのか」と、その先見の明に驚きの声が上がっています。
命の危機が教えてくれた周囲への感謝
多忙を極めた池森氏は、ついに体調を崩してしまいます。ある年の大晦日、仕事から帰宅し泥のように眠った後、1988年1月2日に目を覚ますと激しい目まいに襲われました。救急車で運ばれ、9日間の入院生活を余儀なくされます。後に「メニエル氏症候群」と診断されるこの経験は、彼の経営者としてのあり方を大きく変える転機となりました。
病床で痛感したのは、不在の間も会社を守り抜いてくれた社員への感謝です。退院後、池森氏はその想いを形にするため、1990年まで社員の誕生会を毎月開催し、一人ひとりと向き合う時間を大切にしました。リーダーが弱さを知ることで、組織には血が通い始め、より強固な絆が生まれていったのです。
運命の出会いが導く新たな健康の形
さらに、長年悩まされていた口内炎を通じて、新たな運命の出会いが訪れます。公認会計士の紹介で、蜂研の山田行夫社長と出会い、ローヤルゼリーの驚くべき力を体感したのです。ローヤルゼリーとは、ミツバチの女王蜂だけが食べる栄養価の高い特別食ですが、これが池森氏の健康を劇的に改善させました。
どんな薬も効かなかった悩みが解消された感動は、ファンケルの次なるステップへと繋がっていきます。未知の領域へ果敢に挑戦し、失敗を恐れず、人との縁を大切にする池森氏の姿勢こそが、ブランドの信頼を築き上げているのでしょう。無添加へのこだわりは、単なる手法ではなく、愛する人々を守りたいという彼の情熱そのものなのです。
コメント