1980年に産声を上げたファンケルの歩みは、常識を打ち破る挑戦の連続です。創業者の池森賢二氏は、当初からチラシを活用した啓発型のビジネスを展開していましたが、ある日、現地の視察で衝撃的な光景を目にします。せっかく配布したチラシの多くが、読まれることなく軒先のゴミ箱に捨てられていたのです。
池森氏は、見知らぬチラシはゴミ同然に扱われてしまうという現実に直面しました。しかし、そこで立ち止まらないのが彼の凄さでしょう。住民が夕刊だけを丁寧に自宅へ持ち込む様子を見て、「新聞の間に折り込めば必ず手に取ってもらえる」という画期的なアイデアを閃いたのです。
すぐさま新聞販売店と交渉に当たり、1枚2円という条件を取り付けると、池森氏は各地の販売店を自ら回って現金を支払い、折り込みを依頼しました。この戦略は見事に的中し、注文はまたたく間に急増します。SNSでも「このアナログな突破力こそが今のファンケルの礎」と驚きを持って語り継がれています。
1200万円の賭けとIT化の決断
売上の拡大に伴い、1981年には新たな壁が立ちはだかります。通信販売の宿命ともいえる代金回収の問題です。当時は商品同封の振替用紙で支払う仕組みでしたが、顧客が5000人を超えると未払いや請求事務が膨大になり、もはや人の手では限界を迎えていました。
そこで池森氏は、まだ世間に普及していなかった「オフィスコンピューター(事務処理に特化した中型コンピュータ)」の導入を決断します。本体価格は1200万円という、当時の会社規模からすれば途方もない大金でした。万が一支払えなくなった際を考え、同額の生命保険に加入して挑むほどの背水の陣です。
この1981年6月に断行したIT化は、事務効率を劇的に改善しただけでなく、その後の顧客管理や戦略的な広告展開を支える強力な武器となりました。夜遅くまで一人でキーボードを叩き、注文状況を入力し続けた池森氏の執念が、会社の急成長を確信させたのです。
無添加の理想がついに結実
組織の基盤を固めるべく、池森氏は信頼を寄せる神山岩男弁護士のもとを訪れます。「100億円企業を目指す」という高い志を掲げて設立された「ジャパンファインケミカル販売」は、のちに私たちがよく知る「ファンケル」へと社名を変更することになります。
一方、製品開発でも大きな転換点を迎えていました。当時は肌荒れの原因となる防腐剤を一切含まない化粧品の実現は不可能とされていましたが、1981年11月、2年前から構想していた「1週間使い切りの5ミリリットル小瓶」がついに完成の時を迎えます。
これは、既存の業界構造を根底から覆す「破壊的イノベーション」といえるでしょう。保存料に頼らず、鮮度を保ったまま使い切るという新しい価値観の提示です。1982年には顧客数が3万人に達する勢いを見せており、美のあり方を変えるファンケルの快進撃は今、本格的に始まろうとしています。
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