文豪も愛した湯河原が静かに復権!老舗旅館リノベと「令和」ゆかりの地で「大人の隠れ家」温泉街へ

かつて「東京の奥座敷」と称され、多くの文豪や政財界の重鎮に愛されてきた神奈川県の湯河原温泉が、今、静かにその魅力を再興させつつあります。数年前までは観光ブームから取り残され、中心街にシャッター通りが目立つなど、隣接する賑やかな熱海とは対照的に、寂れた雰囲気が漂っていました。しかし、歴史ある老舗旅館を現代のニーズに合わせた「大人の隠れ家」として蘇らせるなど、官民が連携した温泉街復権への動きが加速しているのです。

明治から昭和にかけて、湯河原は高級温泉地としての地位を確立しており、夏目漱石、谷崎潤一郎、島崎藤村、国木田独歩といった著名な文豪たちが長期滞在や晩年を過ごしたことでも知られています。また、竹内栖鳳や安井曽太郎といった画家、重光葵や大倉孫兵衛などの政財界の大物も湯河原を拠点とするなど、その歴史は華やかです。最盛期には20軒以上の温泉宿が軒を連ねた中心街ですが、時の流れとともに施設の老朽化が進んでいました。

こうした状況を変える象徴的な取り組みが、長年営業を休止し廃屋同然となっていた老舗「富士屋旅館」の再興プロジェクトです。地域経済活性化支援機構と横浜銀行が共同で設立した「かながわ観光活性化ファンド」の第1号案件として、合わせて10億円が投じられました。江戸時代にルーツを持ち、大正12年(1923年)築の歴史的建造物を、床が抜け落ちるほどの状態からリノベーション(大規模改修)によって見事に再生させたのです。施工を担当した会社の社長によれば、往時の雰囲気を守るため、梁や障子、窓枠など、使える部分は最大限に活かしたとのことです。

2019年春から本格的に再始動した富士屋旅館の魅力は、その歴史的な趣に加え、食へのこだわりにもあります。同旅館は「馳走(ちそう)の宿」を掲げ、特におすすめなのが、高知・四万十川産の鰻を蒸さずに焼き上げる関西風の「地焼き」で調理した炭火焼きです。また、地元漁港で獲れる金目鯛のしゃぶしゃぶも好評で、宿泊客以外の日帰り温泉客も昼食や夕食に立ち寄ることが増えているようです。宿泊料金は1泊2食付きで2万5000円程度からとなっており、時間に加えて金銭面でも余裕のあるシニア富裕層を主なターゲットとしていることがうかがえます。

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📚文豪と「令和」にもつながる湯河原の静かな魅力

富士屋旅館の復活を機に、中心街の湯元通りや温泉場商店会でも相次いで復興事業が展開されています。古いお土産屋がレストランに、スマートボールの遊技場がワインバーへと生まれ変わるなど、街全体で活性化の動きが見られます。さらに、旧天野屋本館の跡地には町立湯河原美術館が開業し、地元ゆかりの日本画家・平松礼二氏のアトリエも併設されるなど、文化的な魅力も増しています。

また、新元号「令和」の出典となった『万葉集』とのゆかりも湯河原の再注目に一役買っているようです。温泉街の中心部にある万葉公園には、万葉集に収められた約4500首の中で唯一、温泉を詠んだとされる歌の歌碑が立っています。その歌は「足柄の土肥(とひ)の河内に出(いづ)る湯の世にもたよらに子ろが言はなくに」(詠み人知らず)で、湯河原が舞台となっているのです。ただし、湯河原温泉観光協会が新元号に直接つながるエピソードを文献から探したところ、「何も出なかった」という微笑ましい裏話もあるそうです。

この復権劇の火付け役となった地域経済活性化支援機構のマネージャーは、湯河原を「シニアがゆったりくつろげる隠れ家のような場所」にしたいと展望を述べています。これは、外国人観光客を積極的に呼び込む「インバウンド」の賑わいとは一線を画し、しっとりとした落ち着いたたたずまいこそが湯河原本来の魅力であると位置づける戦略です。湯河原は、春には幕山公園の4000本の梅、初夏には5万株のサツキ、千歳川や新崎川を舞い飛ぶホタルなど、四季折々の自然美も豊かです。

私の意見としても、静かな環境で心身を癒やし、日本の歴史や文化、そして文学に思いを馳せたいと願う「文化的な旅」を求める層にとって、湯河原は最高の選択肢になり得ると感じています。老朽化した施設をただ新しくするのではなく、歴史的な趣を丁寧に残しながら現代的な快適さを加えるというリノベーションの手法は、温泉地の持続可能な活性化の成功モデルになるのではないでしょうか。海の幸、山の幸にも恵まれ、好きな文豪の足跡をたどる楽しみもある湯河原で、ぜひ1泊ではなく、長く滞在してゆったりとした時間の中に身を置いてみてはいかがでしょうか。

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