リングを降りた拳の「その後」を追う――写真家・高尾啓介が捉えた120人の魂の軌跡

試合終了のゴングが会場に響き渡る瞬間、そこには勝者の歓喜と敗者の深い喪失感が交錯します。ボクシングという競技は、自らの肉体を晒して痛みと向き合う、あまりに非情で残酷な世界です。しかし、そのリングを降りた者たちの瞳には、戦い抜いた者だけが宿す特別な光が宿っています。

写真家の高尾啓介さんは、38年という長い歳月をかけて、アマチュアボクサーたちの「その後」の人生をカメラに収め続けてきました。高尾さん自身もかつては名門・中央大学で拳を交えたボクサーであり、自身の挫折や葛藤を経験したからこそ、選手たちの背中にある物語を誰よりも敏感に感じ取ることができるのでしょう。

SNSでは「リングを降りても戦いは続いているんだ」「竹原ピストルさんの言葉に震えた」といった感動の声が広がっています。単なるスポーツ写真の枠を超え、一人の人間がどう生きるかという根源的な問いを投げかける高尾さんの作品は、多くの人々の心に深く突き刺さっているようです。

そもそもアマチュアボクシングとは、プロのような華やかな賞金や名声のためではなく、自己研鑽や名誉のために戦う競技を指します。学生や社会人が中心で、ヘッドギア(当時は着用が一般的)を付け、技術と精神力の極致を競い合います。この純粋な「修行僧」のような姿に、高尾さんはエールを送り続けてきました。

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減量と孤独を乗り越えた先に広がる新たなステージ

ボクサーにとって最も過酷な敵は、対戦相手以上に「自分自身」です。数キロ単位で体重を削る食事管理や、単調で苦しいトレーニング。恐怖を克服するために必要なのは、圧倒的な自制心と真面目さだけです。高尾さんは、この自分との戦いこそが人間を美しく磨き上げると確信しています。

あのロンドン五輪金メダリストの村田諒太選手も、高尾さんのレンズが捉えてきた一人です。学生時代の尖った印象から、社会人を経て周囲に愛される礼儀正しい大人へと変貌を遂げた姿に、ボクシングがもたらす人間的成長の深さが表れています。競技を離れた後も、その精神は脈々と生き続けているのです。

ミュージシャンの竹原ピストルさんは、大学時代の壮絶な練習を振り返り「あの頃に比べれば、今の苦しみなんてどうってことない」と語ります。ライブ前に無意識にシャドーボクシングをしてしまうというエピソードからは、ボクシングが人生に与えたインパクトの大きさが伝わり、思わず笑みがこぼれます。

一方で、リングを離れた後に深い孤独や挫折を味わう者も少なくありません。怪我で夢を絶たれたある選手は、その悔しさをバネに猛勉強を重ね、2019年12月30日現在の今、最先端の人工知能(AI)開発企業を経営しています。AIとは、人間の知能をコンピュータで再現する技術ですが、彼の原動力は泥臭い根性でした。

高尾さんはこれまでに10万枚を超える写真を撮影し、2019年5月には写真集「AFTER THE GONG」を上梓されました。プロを追うカメラマンは多くても、学生たちのひたむきな姿を記録する人は稀です。競合がいないからと謙遜する高尾さんですが、その継続こそが最大の才能だと言わざるを得ません。

2019年12月30日という節目の今、ボクシング界は大きな変革の荒波の中にあります。それでも、リングで培った不屈の精神は、パイロットや医師、経営者といったそれぞれの「次のリング」で輝きを放っています。来る2020年の東京五輪でも、新たな物語が生まれることを期待せずにはいられません。

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