はるか大西洋を望む南米ブラジルに、人々の心を惹きつけてやまない神秘的な港町が存在します。2020年1月5日に公開されたエッセイで、文化人類学者である今福龍太氏が紡ぎ出したのは、植民都市「サルヴァドール・ダ・バイーア」の息をのむような美しい情景です。SNS上でも「まるで現地を旅しているかのような濃密な空気感」「歴史の奥行きを感じる素晴らしい文章」と、多くの読者がその世界観に魅了されています。
1500年のブラジル「発見」から約半世紀後、ポルトガル人によって築かれたこの街は、断崖絶壁が下町と山の手を分ける独特の地形を特徴としています。これはアジアのゴアやマカオにも共通する構造です。かつて海を渡った植民者たちは、故郷リスボンの面影を異郷の地に見出していたのでしょう。故郷の鏡像とも言えるこの街には数多くの教会が建ち並び、歴史の重みを今に伝えています。
曲がりくねった石畳の細い路地を歩けば、優美な教会たちが旅人を温かく迎えてくれます。壁面を彩るポルトガル伝統の青いタイル「アズレージョ」の紺碧の輝きは、かつて人々が命懸けで越えてきた大西洋の深い藍色をそのまま映し出しているかのようです。歴史のロマンが息づくこの街では、朝の訪れすらも特別なエンターテインメントへと変わります。
毎朝の窓辺からは、仕事場へ向かう黒人青年が奏でる軽快な即興路上コンサートが聞こえてきます。彼が手にするのは、ブラジルの伝統的な打楽器「パンデイロ」です。これはタンバリンに似た楽器ですが、巧みな指さばきで多様なリズムを生み出せるのが特徴です。この陽気な打楽器の音色こそが、この街を訪れる旅人にとって最高に贅沢な目覚まし時計となるのでしょう。
さらに海沿いへ足を延ばすと、圧倒的な熱気に満ちた「サン・ジョアキン市場」が姿を現します。色鮮やかな食材や日用雑貨、さらには野生動物までが並ぶ混沌とした空間です。その一角では、白い髪の黒人老人が鉄屑を加工し、アフリカの神々とカトリックの聖人が融合した民間信仰「カンドンブレ」の精霊像を造り出しています。これこそが、混血の文化が息づく港町の真の姿です。
ここで、文化人類学という学問の視点が光ります。これは、異なる民族の文化や生活様式を深く見つめ、人間の本質を探求する学問です。著者は、青い海を渡ってきたのがポルトガル人だけでなく、奴隷として連れてこられたアフリカ人や流浪のユダヤ人であった歴史の陰影を鋭く捉えています。多様な文化が混ざり合うことで、この街特有の信仰や芸術が生まれたのです。
夕暮れ時、著者はブラジルの伝統的なサトウキビの蒸留酒「カシャーサ」の最初の一滴を、十字路の道化神エシュに捧げます。異文化への深い敬意と愛着がにじむこの行動には、現代を生きる私たちも深く共感させられます。単なる観光地巡りにとどまらない、歴史と文化の深層に触れる旅の醍醐味が、この美しいエッセイには凝縮されているのではないでしょうか。
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