日本の伝統文化である俳句が、地球の裏側にあるアルゼンチンの地で、独自の進化を遂げていることをご存じでしょうか。かつて日本から海を渡った日系移民たちが持ち込んだ「五・七・五」の調べは、今やラテンの風に乗って現地の人々の心を強く捉えています。2019年07月15日現在、南米の地で「HAIKU」がこれほどまでに愛されている背景には、驚くべき文学的交流の歴史が隠されているのです。
アルゼンチンには、日本と同様に美しい四季の変化が存在します。春を迎えればハカランダの薄紫色の花が街を彩り、やがて一斉に舞い散る光景は、まさに情緒にあふれています。こうした風土があったからこそ、自然の風景や動植物に心を寄せる「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」の精神が、現地の感性と見事に共鳴したのでしょう。花鳥諷詠とは、高浜虚子が提唱した、自然の美しさや調和を客観的に詠む俳句の根本理念を指します。
SNS上でも「スペイン語の響きと俳句の短さが意外なほどマッチしている」「アルゼンチンの雄大な自然を詠んだ句に感動した」といった驚きと称賛の声が広がっています。実際、スペイン語の音律を分析してみると、日本語の五七五に近いリズムを刻むものが数多く見受けられます。言語の壁を越えて、短い言葉の中に無限の情景を凝縮させる俳句の魔力は、情熱的なラテンの人々をも虜にしているようです。
文豪たちを魅了した17音の小宇宙
アルゼンチンにおいて俳句が市民権を得た背景には、国民的作家たちの存在が欠かせません。驚くべきことに、ホルヘ・ルイス・ボルヘスやフリオ・コルタサルといった、ラテンアメリカ文学を象徴する巨匠たちが、新しい詩の表現を模索する中で俳句に深く傾倒しました。特にコルタサルは松尾芭蕉を熱烈に敬愛し、自身の詩集に「秋の暮」という邦題さながらのタイトルを冠するほど、その精神性に寄り添っていたのです。
こうした大作家たちの影響力は絶大で、ラジオを通じて語られる彼らの言葉に触れ、俳句の世界に足を踏み入れた市民も少なくありません。また、スペイン語圏には古くから「セギディリャ」という七五調に近いリズムを持つ伝統的な詩型が存在します。この形式は民謡や小唄にも用いられており、アルゼンチンの人々にとって、五七五というリズムは決して縁遠いものではなく、むしろ魂に刻まれた心地よい響きだったと言えるでしょう。
私がこれまでに接してきた現地の作品には、目を見張るほど美しい調べが溢れています。例えば、ロバが水面に映る月を飲む様子を「月に口づけする」と表現した句や、アンデスの山肌を滑るコンドルの影を繊細に切り取った句などは、写生の中に鋭い観察眼が光ります。これらは明治後期から始まった日系移民による指導と、現地の邦字紙「らぷらた報知」が果たした文化交流の賜物であり、伝統と革新が融合した結晶なのです。
言葉の架け橋が結ぶ日本とアルゼンチンの未来
私は2014年に現地で「連句(れんく)」のセミナーを開催しましたが、その熱気は想像を超えるものでした。連句とは、複数の参加者が前の句を受けて次々と言葉を繋いでいく、日本古来のコミュニケーション文芸です。会場にはバスを6時間も乗り継いで駆けつけた熱心な参加者もおり、詩に対して注がれる彼らの深い情愛に、私自身も強く心を打たれました。この熱い情熱こそが、文化を育む何よりの原動力となるはずです。
これまで、英語圏に比べるとスペイン語圏との俳句交流は十分とは言えませんでした。しかし、私が選者を務める「草枕」国際俳句大会などでスペイン語での投句を解禁するなど、相互理解の窓口は着実に広がっています。2019年の春には、これまでの研究をまとめた書籍も刊行することができました。今後はこの成果をスペイン語に翻訳し、アルゼンチンの俳人たちとの絆をより一層深めていきたいと考えています。
個人的な見解を述べさせていただければ、俳句という型があるからこそ、かえって感情が純化され、言葉が輝きを増すのではないでしょうか。異なる言語や文化を持っていても、一瞬の感動を17音に託す喜びは共通です。遠く離れたアルゼンチンで詠まれる「ハイク」が、日本の私たちに逆輸入のような形で新しい視点を与えてくれる。そんな素晴らしい文化の循環が、これからますます加速していくことを期待して止みません。
コメント