【J1交友録】京大・法学部「J1」の絆!学生運動終息期を駆け抜けた仲間たちが語る日本のモノづくり

学生運動が終息へと向かっていた1973年(昭和48年)、私は京都大学へ入学いたしました。当時、私が所属していた法学部の一番組は、法律家を意味する言葉である「ジュリスト」から取り、「J1」という愛称で呼ばれていたのです。この「J1」のメンバーのうち、約10名の仲間とは特に親密な関係を築いており、お互いの下宿を行き来しては夜通し酒を酌み交わすなど、非常に濃密な時間を過ごしたものです。

その親しい友人の一人に、後に協和発酵キリン(現在の協和キリン)で常勤監査役を務めることになる、小林高博君がおります。小林君は、どちらかというと控えめな雰囲気を持った文学青年で、常に難しい専門書や文学書を読んでいるような知的な印象でした。大学の授業にも非常に真面目に取り組み、その緻密なノートのおかげで、私たち仲間の中には、無事に単位を取得できた者も多くいるほどでした。

一方で、彼はたいへんな酒好きで、アルバイトで稼いだお金は、あっという間に飲み代として消えていくのが常でした。そのため、金欠になってしまった小林君のために、私が食事を作ってあげたことも一度や二度ではありません。しかし、そんな彼の人柄こそが、周囲から愛される理由の一つだったと言えるでしょう。

卒業後、小林君はキリンビール(現在のキリンホールディングス)に就職し、後に執行役員へと昇進されました。学生時代は日本酒を好んでいましたが、今ではすっかりビール派になったのは、やはりキリンという会社に身を置いた影響なのでしょう。私たちの間では「社会に出ても、良い意味で変わらない、真面目で情に厚い好青年」という評価で、SNSでも「京大J1って、なんだかエリート感があってかっこいい!」「昔からの友人を大切にする姿勢に共感できる」といった声が上がっていました。彼らの熱い友情と、日本の製造業を支える経営層としての視点に、読者の皆様も心を動かされているようです。

私たちは今でも、この「J1」の仲間たちと折に触れて集まっています。会合では、学生時代の楽しかった思い出話に花を咲かせることもありますが、大半のメンバーが製造業の経営層にいることもあり、話題は自然と「日本の製造業のあるべき姿」といった、真剣な議論へと移っていくのです。これは、日本の未来を担う経営者としての使命感と、お互いの専門知識を交換し合う場として、非常に意義深い時間だと感じています。

数年前、還暦を迎えるタイミングで、私たちは京都に集まり、当時の下宿先や、学生時代によく通った飲み屋を巡る旅をしました。そんな時、いつも皆の世話を焼いてくれるのが、世話好きな小林君で、今回の旅でも幹事を務めてくれました。彼のように、気遣いのできる友人がいることは、人生における大きな財産だと心から思います。また近いうちに、彼から「おい、一杯やろう」と誘いの声がかかるのを、心から楽しみにしているところです。私自身、富士フイルムホールディングスの社長として、日本のモノづくりの最前線にいるわけですが、学生時代の仲間との交流は、常に初心を忘れず、前に進むための大きなエネルギー源になっていると断言できます。

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