2019年5月下旬、編集委員が長崎から船で五島列島へ向かったときのお話です。そこで目にしたのは、中通島の最端に佇む小さな頭ヶ島(かしらがしま)教会堂でした。晴天の光を浴びる御堂の椅子に腰掛け、椿や野茨(のいばら)をモチーフにした質実な装飾に目を奪われ、入り江に響く鳥のさえずりに耳を澄ませたといいます。この静謐な空間を造り上げたのは、潜伏キリシタンの子孫たちです。彼らが地元の砂岩を一つひとつ積み上げ、労働奉仕によって建立したこの教会は、人々の信仰の結晶といえるでしょう。
頭ヶ島教会堂を含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、2018年7月に世界文化遺産に登録されました。しかし、この小さな島の現在の人口はわずか14人。五島の豊かな自然が生み出した宝石のように美しい教会堂を、これからどのように守り伝え、次世代へつなげていくのかという課題に直面しているのです。この重要な課題に対し、地域では世界文化遺産を活かした地域振興を考える「イナッショ祭り」が開催されていました。
「イナッショ」とは、日本にキリスト教をもたらしたイエズス会の創始者、イグナチオ・ロヨラを指す言葉です。中通島のホールで講演を行ったイエズス会日本管区長デ・ルカ・レンゾ神父は、五島・奈留島に残る古文書に注目しました。その古文書には、イグナチオが「いなっ所様」などと表記され、争いごとを仲裁する御方として信仰されていたことが記されています。このエピソードからは、禁教という厳しい時代の中で、人々の間で育まれた柔軟で温かい精神文化を垣間見ることができるでしょう。
このイナッショ祭りを後押しし、食や文化を通じて地域を活性化させようと提唱したのは、有志による「禁教期のキリシタン研究会」です。同研究会会長で聖心女子大学長を務める高祖敏明(こうそとしあき)さんは、「世界遺産への認定は終わりではなく、むしろ始まりである」と力強く表明されました。人口減少が進む地域において、遺産継承を確かなものにするための知恵と努力が、今まさに求められているといえるでしょう。
編集委員は、2004年夏に初めて頭ヶ島教会堂を訪れた日のことを思い出しながら、その清浄さに心が洗われた経験を語っています。人が住むには厳しい環境の土地に身を隠したキリシタンの集落を巡る旅は、不便さをも受け入れる、新しい形の観光体験、すなわち「魂のツーリズム」といえるでしょう。この地で13年前に香川県から家族で移住し、陶芸の店を開いた安藤豊さんも、住民の中では最年少クラスの60歳ながら、「静かな暮らしに憧れて来ました。ここは魂の癒やしの場所なのです」と、ゆっくりと穏やかな口調でこの島の魅力を伝えてくれました。
SNS上でも、「五島の美しい教会群と海の景色に感動した」「潜伏キリシタンの歴史を現地で感じたい」といった声が多数上がっており、その注目の高さがうかがえます。厳しい禁教令の下、信仰を守り抜いた人々の深い祈りが息づく五島列島は、訪れる人々に静かな感動と、心の奥深くに響く「癒やし」を提供してくれるに違いありません。世界遺産として守られるこの場所が、これからも多くの人々の魂を慰め、希望を与える場所であり続けることを願ってやみません。
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