仕事の打ち合わせで、イタリア産水牛のモッツァレラ・チーズをいただいたという作家の古川日出男氏。編集者の方が「今日が賞味期限」ということでセール対象になっていた品を選んでくださったそうです。この「本日中に食べよ」という指示を無視できない古川氏は、その日のうちにモッツァレラを味わい、感動的な美味しさに巡り合いました。その体験から、「期限ギリギリ」だからこそ、もっとも味が熟れた状態にあるのではないか、という深い考察に至ったのです。
私たちは、肉や魚の「熟成」というプロの技術によって引き出された深い味わいに、おおむね感激し、その価値に納得して高値であっても受け入れます。この熟成の美学と、一般に心を痛める食品ロス問題との間に、古川氏は妙な矛盾を感じました。食品ロス問題の根底には、「期限ギリギリのものは買わない」という消費者側の心理と、「陳列できない」という販売者側の心理が横たわっていると推測できます。それなのに、なぜ熟成の美味しさは歓迎され、一方で期限は避けられてしまうのでしょうか。この違いは、**「期限」という言葉が持つ、「その一線を越えると終わるもの」という、論理では説得できない“ボンヤリとした恐怖”**にあるのではないか、と古川氏は考えを巡らせます。
🎬「意味を超えて、わかった」と作家が語る映画『嵐電』の衝撃
この「論理」「ボンヤリ」「熟成」という三つのキーワードに刺激され、古川氏は当時鑑賞したばかりの日本映画**『嵐電』(鈴木卓爾監督)を思い出します。この映画は、古川氏にとって衝撃的でひたすら心を奪われる作品だったそうです。しかし、その演出や展開は、舞台演劇の手法にも似る部分があり、「何がどうなった」という論理的なストーリー展開が前面に出ないため、人にはなかなか勧められずにいたと言います。古川氏は鑑賞中に「意味を超えて、わかった」という感動に打ち震えたそうですが、これは裏を返せば、意味を追い求める人にとっては、「なんだ、このボンヤリは!」と、非常に分かりづらいと感じられる可能性を意味していました。SNSなどでは、「難解で理解しづらい」という感想もあれば、「映像美と感情の揺れ動きがすごい」「観客の解釈に委ねる余白が心地よい」といった、まさに「意味を超えた」感動を評価する反響も見受けられます。
しかし、古川氏は、本作が本当に素晴らしい映画であることを全身全霊でもって主張できると力説します。本作は、京都の「嵐山線」(通称:嵐電)を舞台に、三組の恋愛模様を描いた作品です。登場するのは、高校生のカップル、20代の男女、そして若くはない夫婦の三組です。この三組の恋愛模様こそが、古川氏が抱いた「期限」と「熟成」のテーマを鮮やかに映し出しています。
高校生の男女は、青春のまっただ中にいますが、それは思春期の“賞味期限”切れがギリギリのところにあるため、切なくて、ひときわ弾けるように描かれます。そして20代の男女、特にヒロインは、若さや青春という“賞味期限”が「切れた」感の内側にいることで、切実さが胸に迫り涙を誘います。対して夫婦は、まさに人生という時の流れの中で育まれた「熟成」のもたらす感動の波を、終始映画にもたらし続けているのです。この作品は、オープニングの演出で既に「(ここには)いないけれど、いるよ」というメッセージを伝えているように、古川氏は受け止めました。この映画は、私たちに「人は熟していいんだよ」**と、力強く激励してくれているように感じられるのではないでしょうか。人生も、食べ物も、映画も、「期限」という概念を超越したところに、真の豊かさと美しさがあるということを、深く考えさせられる作品と体験でございます。
コメント