コシノジュンコ氏の「職住接近」が導いた転換点!世界的建築と母としての葛藤が結ぶ絆

世界的なファッションデザイナーとして第一線を走り続けるコシノジュンコ氏。その華々しいキャリアの裏側には、一人の母親としての切実な苦悩と、人生を大きく変える運命的な出会いがありました。1980年代の初頭、彼女は言葉を覚え始めたばかりの愛する息子から、衝撃的な一言を投げかけられます。なんと、母親である自分に向かって「お父さん」と呼びかけたのです。

この出来事は、仕事に邁進するあまり育児をシッター任せにしていた彼女の心に、深い罪悪感を刻み込みました。自身の幼少期、多忙な母に育てられた寂しさと息子を重ね合わせた彼女は、1980年代初頭に大きな決断を下します。それは仕事場と住居を極限まで近づける「職住接近」のスタイルを確立することでした。仕事と家族の時間を両立させるための、デザイナーらしい攻めの選択といえるでしょう。

彼女が選んだ新居は、青山の骨董通りにある店舗の向かいに位置するマンションでした。天井の高い空間を好む彼女は、2フロアを繋げたメゾネット構造を採用します。これは、1つの住戸内に内階段があり、2階層に分かれている集合住宅の形式を指します。岸和田の実家を彷彿とさせるその住まいは、桜の木を飾るなど独創的な美意識に溢れ、やがて多くの人々が惹きつけられる交流の舞台へと姿を変えていきました。

この独創的な住まいに興味を抱いたのが、後にアサヒビールの「スーパードライ」で旋風を巻き起こす樋口廣太郎氏でした。SNS上でも「この二人の繋がりが日本の景観を変えたのか」と驚きの声が上がるほど、この出会いは強烈でした。豪放磊落、つまり心が広く小さくこだわらない性格の樋口氏と彼女は、初対面で意気投合します。互いの文化的な関心を共有し合う中で、二人の絆はビジネスを超えた深いものへと発展しました。

樋口氏との交流は、彼女のデザイナー人生において極めて重要な局面で光を放ちます。東京都墨田区にあるアサヒグループ本社の隣、あの有名な「金のオブジェ」を冠したホールの設計にフィリップ・スタルク氏を推薦したのも、実はコシノ氏でした。彼女の審美眼が、東京のランドマーク誕生に一役買っていたという事実は非常に興味深く、一流の表現者同士が共鳴し合うことで新しい価値が生まれる好例だと私は考えます。

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決断の2000年!新本社ビルに込められた覚悟と飛躍

2000年、彼女は六本木通りの高樹町交差点という一等地に、現在の13階建て本社ビルを完成させました。実は当初、7階建ての計画でしたが、ここでも樋口氏から「角地は街の顔。中途半端ならやめるべき」と鋭い助言を受けたのです。街に対する責任を問うこの言葉を受け、彼女は森ビルと協力して壮大なプロジェクトを敢行しました。妥協を許さないプロの助言が、結果として彼女のブランドの基盤をより強固なものにしたのです。

同じ2000年には、長年展開していたパリやニューヨークの店舗を閉鎖し、海外事業からの完全撤退という大きな舵切りも行いました。一見すると縮小のように思えますが、これは次なる飛躍のための「選択と集中」だったのでしょう。母親としての後悔から始まった「職住接近」の思想は、20年近い歳月を経て、家族と仕事が完璧に調和する13階建ての城として結実しました。愛と決断が、今の彼女を形作っているのです。

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