2019年09月17日、作家の下重暁子さんは軽井沢の山荘で、ある一枚の絵を見つめながら自らのルーツを振り返りました。来客に「どなたの絵ですか」と問われ、少しの照れくささを交えながら「父の絵です」と答えるその横顔には、かつて「両親への反抗が生きがいだった」と語る彼女の複雑な愛情が滲んでいます。父の書斎は常に油絵具の香りが漂うアトリエであり、石膏像や風景画に囲まれたその空間は、軍人という厳しい仮面の裏側にある、ひとりの芸術家の魂が呼吸する場所でした。
下重さんの父は、もともと美術学校への進学を熱望していましたが、武士の家系に生まれた長男として、その夢は無残にも断たれてしまいます。軍人の父を持つ厳格な家庭環境では、芸術への道は許されぬ禁忌であり、言うことを聞かなければ水の入った洗面器を持たされて廊下に立たされるような時代でした。結局、父は陸軍幼年学校から士官学校へと進み、歴史に名を残す辻政信や野中四郎といった人物たちと同窓生として軍務に就くことになったのです。
そんな父が、中国の旅順へ赴任した際に母と結婚し、白系ロシア人の文化が香る美しい街で暮らしていた頃の記憶が、一枚のアルバムに残されています。白一色のアトリエで絵筆を握る父と、幼い兄を抱く母、そして使用人が写るその風景に、まだ生まれていなかった下重さんは不在でした。戦地にあっても絵筆を手放さなかった父の姿を知るにつれ、なぜ家出してでも画家にならなかったのかという、娘としての激しい疑問と憤りが彼女の心に消えない火を灯したのでしょう。
終戦後、公職追放という憂き目に遭い、経済的に困窮した父は、知人の依頼で模写や「春画(しゅんが)」を描くことで糊口を凌いでいました。春画とは、江戸時代から続く性風俗を描いた肉筆画や浮世絵のことですが、芸術的技巧が求められる分野でもあります。当時まだ40代だった父に対し、下重さんは「生活が厳しくとも、なぜ今から画家を目指さないのか」と強く反発しました。夢を諦め、かつての軍隊教育に基づいた保守的な価値観へ戻っていく父の姿が、どうしても許せなかったのです。
SNS上では、この下重さんのエピソードに対し、「親への反抗が自立のエネルギーになったという言葉に救われる」「才能がありながら時代に翻弄されたお父様の無念が切ない」といった共感の声が多く寄せられています。自分の子供には「絵描きになりたければ何でもしてやる」と語りながら、自らは夢を封印した父。その矛盾こそが、作家・下重暁子の鋭い観察眼と、既存の価値観を疑う「天邪鬼(あまのじゃく)」な精神を育む土壌となったのではないでしょうか。
現在、実家の廊下を画廊に見立てて飾られていた父の遺作たちは、軽井沢の静かな山荘へと移され、季節ごとに掛け替えられています。母が亡くなった際には、写真の代わりに父が描いた肖像画を飾ったというエピソードからは、反抗し続けた日々を越えた先にある、家族の深い絆が伝わってきます。私たちは親の生き方を否定することで自分を見つけ、そしていつの日か、その背中に隠されていた本当の願いを理解していくのかもしれません。
親子の葛藤を「生きがい」に変えてきた下重さんの視点は、現代を生きる私たちに「自分らしくあること」の難しさと尊さを教えてくれます。父がキャンバスに残した旅順の風景や母の姿は、言葉にできなかった情熱の結晶として、今も山荘の壁で静かに呼吸を続けています。過去の確執さえも一編の物語として昇華させる彼女の筆致は、多くの読者の心に、忘れかけていた家族の風景を鮮やかに蘇らせることでしょう。
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