2019年08月19日、日本の高等教育は大きな転換点を迎えています。かつては一握りのエリートだけが門を叩いた大学という場所も、今や18歳人口の約半数が進学する「全入時代」に近い状況となりました。こうした背景を受け、総合研究大学院大学の学長を務める長谷川真理子氏は、現代の大学教育に一石を投じています。同氏は、単に知識を授けるだけの場から、教員と学生が互いに刺激し合う「双方向型学習」へシフトすべきだと熱く訴えかけているのです。
大学という組織のルーツを辿ると、13世紀頃のヨーロッパにまで遡ります。当時は、高名な哲学者や神学者の知恵を求めて、若者たちが大陸全土から国境を越えて集まってきました。共通言語としてラテン語が用いられ、大学は設立当初から極めて国際的なコミュニティだったのです。そこで行われていたのは、一方的な講義だけではありません。参加者同士が激しく意見を戦わせる「討論」こそが、学びの核心部分を担っていたという歴史的事実は、現代の私たちにとっても示唆に富んでいるでしょう。
19世紀に入ると、国家の繁栄や軍事力強化を目的に、国民国家を支えるための大学が整備されるようになりました。日本の国立大学も、こうした実利的な思想に基づいて導入された経緯があります。しかし、2019年08月19日現在の目まぐるしく変化する国際情勢においては、数十年前の常識は通用しません。大学改革が叫ばれて久しい昨今ですが、時代に流されるのではなく、「学問の府」として守るべき普遍的な価値と、柔軟に変革すべき要素を見極める冷静な視点が求められているはずです。
ここで、長谷川氏が大学に入学した1972年当時を振り返ってみましょう。当時の女子の4年制大学進学率はわずか9.3%、男子も33.5%に留まっていました。対して2018年には、女子が50.1%、男子が56.3%と、劇的な上昇を見せています。進学率が5割を超えた今、もはや大学は特別な特権階級のためだけの場所ではありません。多様な背景を持つ学生が集まるからこそ、教育の内容や手法がアップデートされるのは、至極当然の流れであると言えるのではないでしょうか。
SNS上でもこの提言は注目を集めており、「ただ単位を取るだけの4年間はもったいない」「今の企業に求められているのは、受け身ではなく自ら考える力だ」といった共感の声が多く寄せられています。一方で、「大人数授業でどうやって双方向性を担保するのか」という現場の課題を指摘する意見も見受けられました。長谷川氏が強調するように、大学は単に「卒業」という肩書きを得る場所ではなく、何を学び、どう思考したかというプロセスこそが、その人の個性として評価されるべきなのです。
私は、長谷川氏の主張する「双方向型学習」こそが、AI時代を生き抜く武器になると確信しています。AIが正解を瞬時に提示する時代において、人間に残された価値は「問いを立て、他者と対話しながら深める力」に他なりません。大学は、単なる知識の切り売り場ではなく、知的な格闘を通じて主体性を養う「道場」であるべきでしょう。企業側の採用基準も、出身大学の名前というブランド重視から、大学生活で何を体現したかという実質を重んじる方向へ、さらに進化していくべきです。
学問の本質は、いつの時代も変わることなく未知の真理を探究することにあります。しかし、その成果を卒業生がどのような姿で社会に示していくかは、各大学の教育方針や個性によって多様であって良いはずです。学生一人ひとりが能動的に学び、対話を重ねる文化が定着したとき、日本の大学は再び「最高の文化的遺産」としての輝きを取り戻すに違いありません。教育の質を問う議論は、2019年08月19日を起点に、より本質的なフェーズへと進んでいくことが期待されます。
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