日産リバイバルプランの真実|中村史郎が語る「デザイン経営」と欧州市場復活の舞台裏

1999年10月、経営危機に瀕していた日産自動車を救うべく「日産リバイバルプラン(NRP)」が発表されました。この改革において、異例ともいえる「人名」を挙げた指名で注目を集めたのが、当時いすゞ自動車のデザイン部長を務めていた中村史郎氏です。同氏は、カルロス・ゴーン氏との電撃的な出会いを経て、日産のデザイン改革を牽引するリーダーへと転身しました。

SNS上では「デザインの力でブランドを変えた伝説の時代」と当時を懐かしむ声が多く、中村氏の決断には今なお高い関心が寄せられています。中村氏が移籍を決意した背景には、日本の自動車メーカーにおける「デザイン」の立ち位置を根本から変えたいという強い情熱がありました。経営とデザインが密接に関わる欧州流の「デザイン経営」を、日産の地で実現しようと試みたのです。

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組織の混乱を断ち切る!デザインプロセスの徹底的な再構築

1990年代の日産は、かつての輝きを失い、デザインの方向性も混迷を極めていました。中村氏が目にしたのは、予算管理が不明瞭で、海外拠点のコントロールも効いていないバラバラな組織体制だったそうです。そこで氏は、人事や予算、報告ラインを自ら直接管理する仕組みへと一新しました。これは、単に絵を描くだけではない、組織の根幹からメスを入れる大手術といえるでしょう。

ここでいう「デザイン経営」とは、デザインを企業の競争力の源泉と捉え、経営の意思決定に直結させる手法を指します。中村氏は、デザイナーが役員として経営に参画する重要性を説き、日産を世界水準のクリエイティブ集団へと押し上げました。こうしたトップダウンの体制構築こそが、後のヒット作を生む土壌となったのは間違いありません。

コストカットの裏側で行われた攻めの投資と「欧州の救世主」

リバイバルプランと聞くと大規模なリストラのイメージが先行しますが、実は未来への投資も非常にアグレッシブでした。3ヶ月に1台という驚異的なペースで新型車を投入し、ロンドンには新たなデザインセンターを設立しています。コスト面での反対もありましたが、英国の高度なデザイン能力と国際的な感性を重視した中村氏の主張を、ゴーン氏は最終的に受け入れました。

この英断がなければ、欧州市場で爆発的なヒットを記録した「キャシュカイ(日本名:デュアリス)」や「ジューク」は誕生していなかったでしょう。構造改革期であっても、削るべきところと投資すべきところを見極める「メリハリ」こそが、復活の鍵となりました。ブランドを再定義し、全社が一丸となって突き進む実行力は、現代のビジネスシーンでも大いに参考にすべき点です。

個人的には、中村氏の「デザインは数字で判断できないからこそ、トップが責任を持って決める」という姿勢に深く共感します。論理だけでは導き出せない「直感」を経営の柱に据えたことが、日産のアイデンティティを再生させたのでしょう。時代が激変する今こそ、こうした明確なビジョンと決断力が、あらゆる企業に求められているのではないでしょうか。

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