広島・呉の坂道に響く「ポロポロ」の記憶。田中小実昌が描いた父の信仰と軍都の情景

広島県呉市は、三方を険しい山々に囲まれ、南には穏やかな瀬戸内海が広がる独特の地勢を持っています。かつて戦艦大和を建造した巨大な海軍工廠(かいぐんこうしょう)を擁したこの街は、戦時中には現在の2倍近い約40万人もの人々がひしめき合う大都市でした。2019年11月30日現在も、JR呉駅前には大正時代から続く大衆食堂が暖簾を守っており、かつてこの地を歩いた水兵たちの足跡を感じさせます。

駅から北へ20分ほど歩き、道幅わずか1メートルほどの急な坂道を登り詰めると、そこには不思議な佇まいの古民家が現れます。ここは1932年(昭和7年)に、作家・田中小実昌氏の父である田中種助牧師が築いた教会です。しかし、驚くべきことにこの建物には十字架が掲げられていません。それは、既存の宗教概念にとらわれない独立教会という、父が辿り着いた独自の信仰の形を象徴しているかのようです。

この坂道だらけの風景は、アニメ映画「この世界の片隅に」の主人公・すずさんが暮らした世界とも重なり、歩くだけで物語の余情に包まれます。SNS上でも「呉の坂道は歩くだけで映画の世界に入り込める」「歴史の重みを感じる」といった声が多く寄せられており、聖地巡礼を楽しむファンも少なくありません。そんな情緒あふれる場所で、田中小実昌氏は名作「ポロポロ」の着想を得たのでしょう。

作品のタイトルにもなっている「ポロポロ」とは、幼い日の作家が耳にした信者たちの不思議な祈りの声です。それは言葉としての意味を持たず、ただ身体の震えと共に漏れ出る「異言(いげん)」のようなものです。異言とは、キリスト教において聖霊に満たされた際、本人の意思とは無関係に発せられる理解不能な言葉を指します。父にとって信仰とは「持つ」ものではなく、光に貫かれるように「受ける」ものだったのです。

田中小実昌氏の文章は一見すると非常に平易ですが、読者はしばしば不思議な感覚に陥ります。自身の発言をすぐに後悔してみせたり、煙に巻くような表現を多用したりするからです。これは「クレタ人は常に嘘つきである」とクレタ人が語るような自己言及のパラドックスに似ています。意味を定義することを拒むその文体は、まさに「説明不能な祈り」であるポロポロの本質を体現していると言えるでしょう。

新宿ゴールデン街でニット帽を被り、お酒を嗜む「コミさん」として愛された作家の背景には、中国戦線での過酷な体験や、戦後の多様な職歴がありました。しかし、彼が最終的に描き続けたのは、目に見える成果や意味が残らなくても、確かにそこに存在する「ポロポロ」のような魂の震えでした。私は、彼こそが父の教えを文学という形で昇華させた、最も誠実な伝道師であったと感じてやみません。

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