東日本大震災の発生から時が経ち、福島県飯舘村の復興への歩みが静かに、しかし力強く進んでいます。原発事故により全村避難という過酷な状況を経験したこの村には、古くから大切にされてきた「までい」という言葉があるのをご存じでしょうか。この地方の方言で、「両手(真手)で大切に扱うように丁寧に」「真心を込めて」という意味を持っています。効率重視の現代社会において、この言葉の響きは私たちの心に深く語りかけてくるようです。
飯舘村は、豊かな自然と共生しながら自立自給の持続可能な村づくりを目指してきました。その取り組みは高く評価され、素晴らしい景観や伝統文化を守る地域として「日本で最も美しい村」の連合にも認定されています。美しい村の風景と、特産品である飯舘牛が全国的な知名度を得つつあった矢先に、あの痛ましい原発事故が起きたのです。避難生活を余儀なくされたお年寄りたちが、故郷を離れた悲しみから次第に活力を失っていく姿は、胸を締め付けられるような光景だったことでしょう。
仮設住宅から生まれた希望の「カーネーションの会」
そのような厳しい避難生活の中で、人々の心に希望の火を灯そうと立ち上がったのが、仮設住宅の管理人を務めていた佐野ハツノさんでした。彼女はお年寄りが生きがいを見出せるよう、ある女性が着ていた「二部式の着物」に着目します。これは上下が分かれていて、帯を締めなくても簡単に着付けができる実用的な和服のことです。古い着物を仕立て直して再利用するこの習慣こそが、まさに「までい」の文化そのものだと言えるでしょう。
佐野さんは仮設住宅の女性たちに呼びかけ、「カーネーションの会」という活動をスタートさせました。お年寄りから裁縫の技術を教わりながら完成させた衣服を「までい着」と名付けて販売したところ、各方面から非常に高い評価を受けたのです。SNS上でも、「伝統の知恵が息づく素敵なデザイン」「ものを大切にするエシカルな姿勢に深く共感する」といった声が多数寄せられ、若い世代の間でも静かなブームを呼んでいます。真心が込められた手仕事は、世代を超えて人々の心を動かす力を持っているのでしょう。
新たな学び舎へ受け継がれる未来への願い
村人たちを献身的に励まし続けた佐野さんですが、避難生活の最中に病に倒れてしまいます。再び故郷の飯舘村で暮らすという強い願いを胸に、辛い治療にも前向きに立ち向かいました。しかし、避難指示が解除されてからわずか5カ月後の2017年8月、帰らぬ人となってしまったのです。故郷への思いを遂げられなかった無念さを思うと、言葉もありません。それでも、彼女が蒔いた「までい」の種は、確かな芽吹きを見せています。
飯舘村では、来春の2020年春に向けて、新しい義務教育の拠点となる「いいたて希望の里学園」の設立準備が進められています。2019年11月13日現在、この学校の校歌は、俳人の黛まどかさんが作詞を、南こうせつさんが作曲を担当されるということで話題です。子どもたちに新しい校歌への思いを尋ねたところ、誰もが口を揃えて「までい」という言葉を挙げたそうです。佐野さんをはじめとする先人たちの思いは、次の世代へとしっかりと受け継がれているのではないでしょうか。
黛さんの執筆机には、佐野さんから贈られたという、古い着物生地をリメイクした可愛らしいお財布がいつも置かれています。このお財布を見るたびに、私自身も大量消費社会のあり方を見直さなければならないと強く感じます。「までい」の精神は、これからの持続可能な世界を築く上で、最も大切な鍵になるはずです。新しい校歌の歌詞には、亡き人々の切なる祈りも込められる予定であり、完成が今から待ち遠しくてなりません。
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