2019年12月4日、世界を悲しみが包み込みました。アフガニスタンで長年、人道支援に尽力してきた医師の中村哲さんが、志半ばで凶弾に倒れたのです。SNS上では「日本の誇りだった」「ショックで言葉が出ない」といった悲鳴に近い声が次々と上がり、その早すぎる死を悼む投稿が今も止まりません。
中村さんは、もともと国際貢献を大志として抱いていたわけではありませんでした。九州大学医学部を卒業後、パキスタンへ赴いた動機は「好きな昆虫採集ができるかもしれない」という、なんとも人間味あふれるものだったそうです。しかし、そこで目にした戦乱と難民の姿が、一人の医師の運命を大きく変えることになりました。
2000年にアフガニスタンを猛烈な干ばつが襲った際、彼は「100の診療所より1つの用水路」という驚くべき決断を下します。医療だけでは飢えや渇きを救えないという現実に直面し、医師でありながら自ら設計図を引き、重機を操って大地を耕し始めたのです。まさに「医食同源」を地で行くような、命を繋ぐための挑戦でした。
砂漠を緑に変えた「マルワリード用水路」の奇跡
中村さんが手掛けた「マルワリード(真珠)用水路」は、2010年に完成を迎えました。これは、専門的な土木技術を現地に適合させた灌漑施設のことです。約1万6000ヘクタールもの荒野を豊かな緑地へと変貌させ、約60万人の人々の生活を支える基盤となりました。その功績は2018年にアフガン大統領から勲章を授与されるほどでした。
「ノーベル平和賞候補」という周囲の喧騒をよそに、彼は常に現場の治安悪化や砂漠化の進行を憂いていました。世界がアフガニスタンへの関心を失いかけても、彼は決してその手を放しませんでした。自らの身を危険にさらしてでも、「今ここにある命」と向き合い続ける姿は、多くの日本人の心を揺さぶったに違いありません。
彼の座右の銘は「一隅を照らす」でした。これは、社会の片隅であっても、自分が置かれた場所で最善を尽くし、光り輝く存在になることを意味する仏教用語に由来しています。自分を誇示することなく、淡々と用水路を掘り続けた中村さんは、まさにアフガンの大地にとって希望という名の太陽そのものだったのでしょう。
私たちが彼から学ぶべきは、大層な理想論ではなく、目の前の困っている誰かのために何ができるかという泥臭い実践の精神ではないでしょうか。中村哲という偉大な先人が灯した光を絶やさぬよう、その遺志を私たちは語り継いでいく責任があります。暴力が希望を打ち消すことがあってはならないと、強く胸に刻むべきです。
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