2020年の東京オリンピック開幕まで、残すところあと252日となりました。スポーツ記者として長年現場を見つめてきた筆者ですが、昨今のテレビ番組表を埋め尽くすスポーツ中継の多さには、改めて目を見張るものがあります。2019年11月15日現在も野球の「プレミア12」が熱戦を繰り広げており、列島は連日のように歓喜に沸いています。
つい先日も卓球のワールドカップや、日本中の視線を釘付けにしたボクシングの井上尚弥選手とドネア選手の歴史的一戦が行われました。夏から秋にかけてを振り返っても、日本中を熱狂の渦に巻き込んだラグビーW杯をはじめ、柔道や陸上といった世界選手権が次々と地上波で放送されています。SNS上でも「毎日がゴールデンカード」「寝不足が続く」といった声が溢れ、スポーツ観戦は今や生活の一部です。
昭和から令和へ、劇的に変化したアスリートの立ち位置
かつての昭和の時代、お茶の間で観られるスポーツといえばプロ野球や高校野球が中心でした。陸上や水泳、柔道といった五輪競技の選手たちは「アマチュア」と呼ばれ、彼らの勇姿を目にできるのは4年に一度のオリンピックや日本選手権くらいだったのです。しかし現代では、彼らは競技の枠を超えてバラエティー番組にも登場し、お茶の間の人気者として親しまれています。
高い知名度を誇るアスリートは、企業の顔となるCMタレントとしても重宝され、ファンにとって非常に身近な存在となりました。かつて1980年のモスクワ五輪で見られたような、政治の力によって選手が夢を断たれるといった悲劇は、今の若い世代には想像もつかないことでしょう。資金難に喘ぐ競技は依然として存在しますが、全体としてはかつてないほど恵まれた環境にあると言えます。
商業主義がもたらした恩恵と暴走するシステムの限界
このような活況をもたらした転換点は、1984年のロサンゼルス五輪から始まった「スポーツの商業主義化」です。これはテレビ放映権料やスポンサー企業からの協賛金を運営の柱にするビジネスモデルを指します。ここに情報通信技術(ICT)の進化が加わったことで、競技のコンテンツ価値は飛躍的に向上しました。今のスポーツ界の繁栄は、このシステムなしには語れません。
一方で、放映権を持つ米テレビ局の意向が強く働き、酷暑の中での開催を強いられるといった歪みも生じています。これを国際オリンピック委員会(IOC)が受け入れる構図は、利益を最大化しようとする資本主義の宿命かもしれません。しかし、現在の仕組みが限界を迎えているのは誰の目にも明らかです。私たちには今、何を優先し、何を守るべきかという覚悟と改革が求められています。
個人的には、アスリートが輝ける環境が整うことは喜ばしい反面、ビジネスの論理が「選手の健康」や「競技の本質」を追い越してしまう現状には強い危惧を覚えます。商業主義の恩恵を否定するのではなく、その影の部分にどう光を当て、持続可能なスポーツ文化を築くのか。東京大会を目前に控えた今こそ、私たちはその真価を問われているのではないでしょうか。
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