【不確実な時代を生き抜く】出光興産・月岡隆会長が語る「三丁目の夕日」から学んだ変化への対応力と経営哲学

夕日に赤く染まる街並みと、刻一刻と高くなっていく東京タワー。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界をそのまま地で行くような幼少期を過ごしたのが、出光興産の会長を務める月岡隆さんです。1957年当時、6歳だった月岡さんは増上寺の境内にある幼稚園に通い、建設中のタワーを見上げながら「日本が変わっていく」という強烈な刺激を肌で感じていました。

ネット上では、昭和の高度経済成長期を知るリーダーの言葉に対し、「変化を恐れない姿勢に勇気をもらえる」「激動の時代を生きた人の言葉には重みがある」といった共感の声が寄せられています。東京五輪に向けて街が改造され、遊び場だった広場が消えて高速道路に変わる様子を目の当たりにした経験が、月岡さんの「変化の軌跡を知りたい」という探究心の原点となったのでしょう。

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不条理な運命さえも糧にする「自我作古」の精神

月岡さんの人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。実家の酒屋が資金繰りに行き詰まり、夜逃げ同然の転居を経験するなど、幼くして世の中の厳しさを味わいます。さらに、当時の受験制度の変更や大学紛争といった自分ではコントロールできない外部要因によって、志望校への道を何度も阻まれるという不運にも見舞われました。

こうした「目標が立てては消えていく」という不確実な現実に直面しながらも、彼はそれを嘆くことはありませんでした。目の前の景色が音を立てて変わるのを体感してきたからこそ、物事に執着しすぎない強さが養われたのです。たまたま縁があった出光興産への入社も、増上寺のすぐそばで行われた入社式が、彼を再び原点へと立ち返らせることになりました。

月岡さんが座右の銘とする「自我作古(じがさっこ)」とは、母校・慶應義塾大学の創始者である福沢諭吉が大切にした言葉で、「我より古(いにしえ)を作(な)す」、つまり前例のない新たな道を自らの手で切り拓くという気概を指します。この精神こそが、後に彼が直面する数々の経営課題を突破する原動力となったのは間違いありません。

異国の地で確信した「本質」と経営統合への決断

中堅社員時代、新規事業の失敗で心身ともに追い詰められた月岡さんは、カリブ海のプエルトリコへと渡ります。そこで彼が目にしたのは、日本に先駆けて普及していた「セルフ式」のガソリンスタンドでした。人手をかける日本のフルサービスが当たり前だった時代に、彼は「人口減少社会の日本でも、この効率化は必然になる」と、業界の本質的な変化を予見したのです。

石油業界が過酷な価格競争に喘ぐなか、出光興産は独自の社風を守り続けてきましたが、2019年4月1日、月岡さんは昭和シェル石油との経営統合という歴史的な決断を下しました。創業家との3年にも及ぶ粘り強い交渉を乗り越えられたのは、「変化は自ら作り出すもの」という信念があったからでしょう。

「沈んだ夕日はまた昇る」という言葉通り、思うようにならない人生であっても、主体的に動けば必ず道は拓けると月岡さんは説いています。2019年12月08日現在、激変するエネルギー業界の最前線に立つ彼の眼差しは、かつて見上げた東京タワーのように、常に未来の可能性を捉え続けているのです。

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