釧路の極寒をキャンバスに刻む。日本画家・羽生輝が描く「北の浜辺」に宿る圧倒的な体感温度と生命力

冬の北海道、それも海に面した釧路の景色を思い浮かべたとき、皆さんはどのような色彩を想像されるでしょうか。北海道立三岸好太郎美術館の副館長を務める土岐美由紀氏が紹介するのは、まさにその凍てつく空気感を見事に切り取った羽生輝氏の名作「北の浜辺」です。

1997年に制作されたこの巨大な作品は、見る者の肌を刺すような冷気を纏っています。氷のように乾いた雪がへばりつく海岸線、そして闇に飲み込まれそうな空と海。そんな孤独な風景の中にぽつんと灯る板張り小屋の明かりは、厳冬の地で生きる人々の静かな営みを象徴しているかのようですね。

作者である羽生輝氏は1941年に東京で生まれましたが、7歳という多感な時期に釧路へと移住されました。地元の大学で芸術を志し、伯父である著名な彫刻家、舟越保武氏にデッサンを師事するなどして日本画の世界へ足を踏み入れます。以来、一貫して北の海辺というテーマを追い続けているのです。

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極限の環境が育む「体感デッサン」と独自の技法

釧路の年平均気温は10度を下回ります。冬場の室内は暖房の影響で乾燥が激しく、日本画の接着剤として不可欠な「膠(にかわ)」の扱いすら困難を極めるそうです。しかし、羽生氏はあえてその過酷な風土に正面から向き合い、顔が痛むほどの吹雪の中でも屋外での写生を敢行されています。

これを氏は「体感デッサン」と呼んでいます。単に目で見た形を模写するのではなく、現地の凍える空気や風の圧力を心身に刻み込むための儀式と言えるでしょう。その執念が生み出す画面には、写真や生半可な写生では到達できない圧倒的なリアリティと、凄まじいまでの「場」の力が宿るのです。

表現手法も極めて独特です。繊細な筆遣いだけでなく、ベニヤ板を支持体に使い、ペインティングナイフで絵具を削り出すように描くことで、岩のような硬質の質感を表現しています。時には炭を砕いて絵具に混ぜることで、ざらついた物質感を強調し、触覚に訴えかけるような力強い絵肌を作り上げました。

SNSでも「この暗さの中に潜む青と赤の対比が美しい」「北海道の冬を知る人間には、この寒さが心に突き刺さる」といった感動の声が広がっています。暗色の中に潜む鮮烈な色彩の拮抗は、厳しい自然に屈しない生命の力強さを感じさせ、一度目にすれば忘れられない強い余韻を残すことでしょう。

文学をも魅了した北の海の真実

この壮絶なまでに美しい海景は、同じく釧路出身の著名な小説家、原田康子氏をも虜にしました。代表作『海霧』の新聞連載にあたり、原田氏は羽生氏の絵に「悽愴(せいそう)感」――つまり、あまりに寂しく、胸が締め付けられるような激しさを感じ取り、挿絵を依頼したという逸話が残っています。

プロの作家同士が魂で共鳴し合った結果、文字と色彩が織りなす極上の北国情緒が誕生したのです。1997年に生み出された縦2メートルを超えるこの大作は、現在、北海道立旭川美術館に収蔵されています。北の浜辺という一つのテーマに人生を捧げる画家の矜持を、ぜひ現地で感じてみてください。

個人的には、日本画という枠組みを超えたこの「物質感」にこそ、北海道という大地の重みが凝縮されていると感じます。整った美しさだけでなく、自然の猛威を美しさに昇華させる羽生氏の姿勢には、私たちが忘れかけている自然への畏敬の念が込められているのではないでしょうか。

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