本という存在が人々の心を豊かにする一方で、現代の書店には目を覆いたくなるような言葉が並ぶことがあります。フリーライターの永江朗氏が2019年12月14日に発表した書評の対象となっているのは、中国や韓国への憎悪を煽り、差別を助長する、いわゆる「ヘイト本」の流通経路を徹底的に調査した一冊です。かつて本屋を愛していた著者が、あえて「不愉快な旅」と表現してまで踏み込んだこの問題は、私たちの日常に潜む深い闇を浮き彫りにしています。
なぜ、特定の国や人々を傷つけるような書籍が、街の書店の目立つ場所に堂々と平積みされているのでしょうか。その背景を探ると、驚くほど冷徹な出版業界のシステムが見えてきます。SNS上でも「自分が通う本屋で見かけると悲しくなる」といった声が多く上がっていますが、その実態は、特定の思想に基づいたプロパガンダというよりも、もっと機械的で無機質な「ビジネスの論理」によって支配されていることが判明しました。
責任不在のシステムが生み出す「凡庸な悪」
取材を通じて浮かび上がったのは、作り手や流通に関わる人々の当事者意識が決定的に欠如しているという事実です。現場の編集者は、決して自らの信念でヘイト本を企画しているわけではありません。「会社から与えられた仕事だから」という理由で、淡々と原稿を仕上げています。この現象は、個人の善悪の判断よりも組織の命令が優先されてしまう、現代社会の典型的な病理といえるのではないでしょうか。
流通の要である「取次会社」も同様の構図にあります。取次とは、出版社と書店を繋ぐ卸売業者のことですが、彼らは初版の部数に合わせて機械的に本を各店舗へ送り届けます。書店側も、送られてきた本をただ棚に並べるだけという作業に終始しているのが現状です。この一連の流れには、「その本が誰を傷つけるか」という想像力が入り込む余地は一切なく、単なる事務作業として処理されているのです。
こうした状況に対し、著者は哲学者ハンナ・アーレントが提唱した「凡庸な悪」という言葉を重ね合わせます。ナチスによるホロコーストを主導したアイヒマンが、実はごく普通の役人として職務に忠実だったように、現代の出版不況の中で「売れるから」という理由だけで差別を垂れ流す人々もまた、悪意なき普通の人々なのかもしれません。しかし、その思考停止こそが、社会を破壊する毒素を拡散させていると言わざるを得ません。
私は、書店とは本来、知的好奇心を刺激し、他者への理解を深める場所であるべきだと考えます。目先の利益のためにヘイト本を放置することは、長期的には読者の信頼を裏切り、書店という文化そのものを衰退させる結果を招くでしょう。差別の言葉が日常の風景に溶け込んでしまう前に、私たちは「本を選ぶ」という行為を通じて、どのような社会を望むのかを改めて問い直す必要があるはずです。
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